ポエトリー、ミジャの詩

monna88882012-03-04

ようやく、この日。新宿の武蔵野館で「ポエトリー」を観ました。2年前にTPがヤフーニュースか何かで見て「次のイ・チャンドンの新作、門ちゃんの好きそうな映画よ!」と大きな声で教えてくれたっけ。『詩作教室に通う初老の女性ミジャは日々、美しい言葉を求めていた。そんな彼女にある日突然つきつけられる、過酷な事実。これはすべてを受け入れながら、一篇の詩にたどり着くまでの彼女の魂の旅路。名匠イ・チャンドンがすべての人に捧ぐ最高傑作』とのことで前売り券も買って、ずっと楽しみにしていました。まずは主人公のピラピラした服装からすでに、ズキュンと胸を打ち抜かれます。や、やられた!ふわりふわりと漂うようなリズムで進む映画は、主人公の描き方と同じ比重で人間観察力のすさまじさが表現されていました。三平ストアのレストランで、映画の感想をぽつぽつと話し始めると止まらなくなってしまいました。


主人公は60代後半の夢を見ているような女性、あなたも詩人になれる、の宣伝文句にひかれて詩の教室へ通いながらも、なかなか詩を生み出せずに「どうやったら詩を書けるんですか!」と仲間や先生に尋ねたりします。言葉にできないからって詩が無いわけではない、ミジャの生きる瞬間こそが詩になっていました。創作魂の塊のような映画、それでいてどの登場人物も周りにいるたくさんの人たちの顔が浮かぶような現実感。浮遊感を表現するには、現実感が大事なんだなぁ。三平レストランで食事した後、地下の何でも屋で、中華の卵スープを飲むような茶碗を3つ、買ってみました。使い心地を実験するのが、楽しみ。真っ白、ぽってり、ツルツルの器です。今日のような映画を体験した日は、映画の後にこそ映画が続いています。ポエトリー、どこまでも続いて行きます。