朝日から朝日へ

まだ朝の6時前。母親から「お風呂行こう」と起こされました。まだ暗い。ベランダに出て関門海峡を通るフェリーに手など振っていると、真っ赤な朝日が頭を見せ始めました。母、大喜び。父は携帯で写真を撮ってくれと言っていますが写真には上手く映りませんでした。

お婆ちゃんが苦しまずに、いいお見送りができますよう。柏手を打って祈ります。サンダル履きで大浴場へ。たっぷりのお湯に身体を沈めた瞬間、全部がふーっと溶けて行くよう。母方の祖母とは違って、父方の祖母は温泉がそんなに好きじゃなかったから、罪悪感はありません。たっぷりと朝風呂を堪能します。

部屋に戻ると珍しく父も朝風呂で朝シャンしていました。さては昨日、私が「加山雄三が地毛で禿げてないのは、朝晩必ずシャンプーしているからだって」と教えたのが良かったのかな?せっせとシャンプーして毛がフサフサ生えるといいねと願います。朝のビュッフェへ。父の量を小とすると、私が中、母が得盛りです。

チェックアウトまで出発まで時間があるので、裏の火の山を散歩することに。帽子を被ってタオルを持ってひとりで出かけます。お婆ちゃんは夏休みに預かった私と弟を持て余して、火の山に連れてきてくれたっけ。山頂のアスレチック、中でもターザンを狂ったように繰り返す私と弟を、ちっとも嬉しそうじゃない顔で遠くから日傘をさして、見るともなく見ていたっけ。あの頃の祖母はまだ50代後半だったでしょう。色んなことを思い返しながら山頂まで1.5キロの山道を登り始めると、祖母の寝ている老人ホームが見えました。その瞬間、はっ、あたしはここで自分の楽しみのためだけに山に登ろうとしているけれど、火の山はこれから何度だって登る機会があるじゃないか、今朝まだ生きている祖母の顔を見に行くことが、今やるべきことだ!そうビカビカッと考えて、すぐに山を降りてホームまで走って向かいます。

部屋に入ると、ヘルパーさんたちが総出で祖母の様子を見てくれています。「あ、良かった、今ちょっと息が止まったりして、背中を叩いたりしたんですよ。酸素濃度も低くて」目を閉じて息もぜーぜーと苦しそう。お婆ちゃん、来たよ!声をかけるとパチッと目を開けて、ニコッと笑ってくれたので全員で大喜び。念のため母に電話をかけてくれるそう。

しばらくすると両親伯父伯母がやってきました。散歩に出たはずの私がホームに居ると聞いて驚いたと言っています。どうやら、ホテルは連泊できないらしい。他にも調べてもらったけれど、今日は下関の馬関祭りで市内はどこも満室、小倉まで行かないと部屋は無いそう。ヘルパーさんが「それなら、雑魚寝ですけどここのソファーとか、畳のとことか使ってもらって結構ですよ」と言います。じゃあ、そうさせてもらおうか、ホームにみんなで泊まることにしました。

伯母が、トランクが開かなくなったと言います。鍵をかけたつもりがないのに鍵がかかってしまったそう。駅前の大丸に預けて開けてもらうことに。ついでに母方の祖母のお見舞いもしようと、母、伯母、私で出かけようとしたところ父もくっついて来ました。「お父さんは残ったらいいのに!」母は父を置いて、3人だけで楽しもうとしているようです。

「大丸の中華!おいしいんよ〜」「でも朝ごはん食べたばっかりやしね」ひとりで中華について熱く語っている母。大丸のトランク売り場で、鍵は全て違う型だから合鍵は無いけれどと店員さんが全く違う鍵を少し差して軽く回したところ、鍵はカチャッと開きました。どうやら引っかかっていただけのよう。良かったね〜。母は喪服の下に着るTシャツを買いに伯母とユニクロへ、私と父は一服しに駐車場へ。母から電話で「あんた、今ABCマートで良さそうな黒い靴が安いよ、来てごらん」とのこと。お婆ちゃんはまだ生きとうし、そんなの死んでからだっていくらでも間に合うやない!そう断ると、せっかく安いのにとブーブー言っています。

母方の祖母の病院へ。母が「もうあんたのこと見ても、誰かわからんかも知れんね」と私を脅します。病院はちょうどお昼ごはんのときでした。「婆ちゃん、来たよ!」そう言うと目を丸くして「まぁ、あんたいつ来たん?会いたかったね〜」と喜んでくれます。お父さんに連れてきてもらったの?まぁ、京都の伯母ちゃんまでわざわざありがとう〜、母方の祖母の頭はしっかりしているようでホッとします。また来るね!と言って車に乗り込みます。

桃太郎で天丸うどん。夏休みに弟と何度も食べに来たうどんを堪能します。ホームに戻って、私は共有ルームの畳で昼寝をさせてもらいました。どうせ今夜ここで寝るんだから、練習のつもりで。2時間ほど眠って起きると、お婆ちゃんの部屋には伯母ちゃんがひとりでいました。父母伯父はお寺に行っているそう。手をさすって「苦しそうやなぁ」可哀想と涙をぬぐう伯母ちゃん。お婆ちゃんに「喉、乾いた?」と聞くと大きくうなずくので、ベッドを起こしてお茶をほんの少し飲ませます。昨日より飲み込むまでの時間がかかっているよう。一度軽くゴックンして、コホコホと咳をして、しばらくすると大きくゴックンをしています。お婆ちゃん、ひとりで行くの淋しい?と聞くと反応なし。この世を去るの辛い?反応なし。どこか痛い?強くうなずくので伯母と喜びます。やっぱりわかってはるんやわぁ、どこが痛い?と聞くと手を腰の方にやります。腰が痛いんだ!伯母とふたりでたっぷり祖母の身体をさすります。

お寺から戻った父母伯父。母が「あの爺さん、ボケとるんやろうか?」どうやら住職だった人が、魚屋の前掛けなどして会話もトンチンカンで通じなかったそう。また明日、息子に話しに行くらしい。父が「一旦、福岡に帰ろうか」と言うので驚いていると、弟家族を迎えに行ってそのまま福岡で泊まるそう。弟たちは新幹線で来らせればよかろうもんと言っても、赤ちゃんがおるから大変よ、と帰宅する氣まんまんです。

母と伯母はまたどこかへ出かけて行き、伯父は畳で昼寝。私と父は眠っているお婆ちゃんを眺めながら乾杯です。私がトイレへ行っていると「おい、これ見てみぃ」と父の声がします。出て見ると父がお婆ちゃんの手を持って、何やら話しかけています。「笑っとうように見えようが」目がパチッと開いて、ものすごく嬉しそうな顔でニッコリしているお婆ちゃん。父も嬉しそう、お婆ちゃんも嬉しそう。母からけしかけられなくたって父は父で悲しんでいるのです。

母と伯母が今晩と明朝の食料を買って戻ってきました。寿司だ、やった〜!ビール、詰め合わせと別に、丸々としたイカが5貫で250円。これを朝ごはんにしよう。父母は福岡に帰ると言うので、私だけ近所のホテルの日帰り湯に送ってもらいます。関門海峡を眺めてたっぷりとしたお湯に身を沈めます。


風呂上がり、歩いて帰る道。何度も通った火の山ロープウェーの上り口の前を通るとき、ロープウェーで上がって、関門海峡を眺めようと思い立ちました。片道わずか5分、懐かしいロープウェーに数十年ぶりに乗ります。あ、祖母のホームも見える。山頂では弟と遊んだアスレチックはもう見当たらない。景色を眺めて、またロープウェーで降ります。往復500円の息抜きです。

伯父から頼まれたウィスキーを買ってホームに戻ると、祖母は相変わらず苦しそうな呼吸で寝ています。点滴ももう身体が処理しきれなくなったから抜いたし、食事は1ヶ月以上食べていないし、まともに水も飲んでいない。人間の身体って強いね、などとお喋りしながらだんだんと暮れて行く景色をみんなで眺めます。

夜、伯母から勧められたビールを2本飲み干して、夜中に備えて先に眠ることにしました。祖母の夏布団は祖母の匂い。夢で、お婆ちゃんはかしわめしのお弁当を大方平らげていました。良かった、よく食べたねと喜んだところで目が覚めます。はっ、夜中の2時。部屋に戻ると伯父伯母はまだベッドサイドで祖母の手を握っています。まだ寝てていいよと言ってくれるけれど、伯父ちゃん伯母ちゃんこそ少し休んでと言って選手交代。


さぁ、これから朝までふたりでがんばりましょう。お婆ちゃん、無理せんでいいよ、いつでも好きなときに行っていいよ。さっきお母さんが、ウワッと驚かしたらビックリして往くかな?とか好き勝手言ってたけど、氣にせんでいいよ、今日はずっと一緒におるけんね。好きにしてね。ふと思いついて、祖母の耳元で如来大悲の歌を唄ってみました。目をギューッと閉じて、聞き入ってくれている様子。お婆ちゃんはお寺のお花を長年活けてきたし、お寺が大好きだった。オルガンでよく弾いていた歌です。続けて童謡も唄ってみます。海は広いな大きいな。飼い犬のダンも大好きだった歌。これも反応は良い様子。次は振り付けありで大きな栗の木の下でを唄ってみます。珍しいものを見ているような顔。何曲も何曲も唄ってくたびれて、ベッドに突っ伏して「お婆ちゃん、眠たいよ」と言うと祖母はダラリとしていた手を私の肩に乗せて、スーッとさすってくれます。お婆ちゃん、ありがとう〜。涙がポロリ。

ブラジル対ドイツのサッカーが始まる頃。窓の外が明るくなってきました。山の間から朝日が見えます。伯父伯母も3時間しか眠っていないのに起き出してきてくれました。お婆ちゃん、朝日見たい?と尋ねると、うんとうなずくのでベッドを起こします。祖母の顔がだんだんと朝日に染まって行きます。ジーッと朝日を見て、目の端に涙をためています。お婆ちゃん、キレイね〜、朝日、キレイね〜。ベッドを下げる?と聞いても、軽く首を横に振ります。みんなで見る朝日。今日もまた新しい一日が始まるね。突然スイッチが切れたようにくたびれたので、もう一眠りさせてもらうことにしました。