祖母の孫

朝の6時過ぎ、電話が鳴りました。あぁ、往ったんだ、そう思いながら受話器を上げます。母の声で「おばあちゃん、ダメやったって。昨日の1時過ぎって。ヘルパーさんたちが部屋に行ったらもう息してなかったみたい。電話がかかってきてみんなで駆けつけたけど、お医者さんもおって、ご臨終ですって。でももうとっくにご臨終しとったはずやけど」お父さんに電話したけど、あの人は冷たい、全然悲しくないみたいと言うので「そんなはず無いやないの!お父さん、泣きよったとよ。誰もおらんときに手を取って話しかけたらおばあちゃんが笑って、ものすごい嬉しそうやったよ」そう言ってみますが、一番長い時間、祖母と過ごしてきた母の耳には届かないようでした。

電話を切った瞬間、涙が滝のように出て枕に突っ伏していると、氣がつけば夕方になっていました。まだ夏休みで良かった。どれだけ眠ったんだろう。どれだけくたびれていたんだろう。でも誰もがくたびれているのに、母伯父伯母、弟、弟嫁、甥っ子はお通夜の準備に追われていることでしょう。本当にありがたいことです。「京都の伯父ちゃん、すごいね〜!テキパキと電話して、あっと言う間におばあちゃんの目、角膜移植の手続きして」京都の伯父は角膜移植を広めたいと、亡くなった人たちから何十件も角膜提供の手配をしているそう。息子ならではの特権、エラいと思いました。



長い二度寝から起きても、あぁ、この世の肉体におばあちゃんはもういないんだと思うと、身体に力が入らず、ふわふわとしています。ただ、白ごはんだけがおいしくて。自分で5日振りに炊いた白ごはんを、お土産に買って帰っためんたいこと食べて、この世にこんなおいしいものがあるのかと驚嘆します。おばあちゃんは空の上に行ってしまって、あたしはまだこの世にいて、おいしい白ごはんを食べています。そろそろ京都の伯父伯母、福岡の両親、弟家族もくたびれて一回帰ろうかなどと言っていた頃だったから、きっとそのタイミングに合わせて、スーッとひとりで、がんばって空の方に上がって行ったんだ。葬式のためにもう一度遠くから呼び戻すのは可哀想だと思ったんだ。これまでお姫様のように自分中心で我がままで、いつでも氣取っていたおばあちゃんは、最期にかわいいおばあちゃんになって空の上に上がってしまいました。

またいつかどこかで会ったら、あの長い長いお喋り、止まらないお喋りで親友のように語り明かすんでしょう。それまで、ちょっとだけがんばろう。この世でまだ味わったことのない楽しみを、味わい尽くそう。これまでずっと祖母の孫だったあたしは、産まれて初めて片祖母になったんだ、そう思いました。