面倒臭い母

明け方の地震はしつこかった、ぐらんぐらんと揺れ続けて、テレビも今すぐ避難してくださいとしつこかった、たった3メートルの津波で、どうして早朝から避難させようとするんだろうと悲しくなるほど。しばらくぐらんぐらんと揺れる中、散歩がてら、TPを駅まで歩いて見送った後、家に戻ると母から電話がありました。先日、メールで母方の祖母の弟が亡くなったと知りとても悲しかったけれど、その後の電話で「あんた、サマンサタバサのポシェットいる?ま、あんたには似合わんと思うけどね、笑」と言うので、えっ?ポシェットとかいらんよと言うと、へそを曲げたようでジャーネーと電話をガチャッと切られました。その前から、ホークスの目覚まし時計やら、大丸で買った日傘やら、他にも色々とあれやらこれやら、対処し切れないほどの買い物したものを、すぐに送ろうか?と言うので心はいっぱいだったのです。どうして母は色んなものをあれこれ買っては、いらないもと言う人にまで送ろうとするんだろう。きっと母は、買いたいものは何でも買えて、人生を謳歌しているのかも知れない。私は、買いたいものはぐっと我慢して、買ったとしても、アパートが狭いので何でもかんでも積み上げるわけにはいかないから。そういう怒りが、クーッと湧いてきました。

氣持ちが納まらないので、その足で宇多田ヒカルのアルバムを買いに行ったっけ。

Fantôme

Fantôme

Fantome。どの曲も彼女の母親への思いがあふれているように思えて。買って帰って流すだけでも、母親という複雑な存在をそのまま、複雑なままに流してくれます。そこで氣持ちは穏やかになりました。

そして今日、電話をガチャ切りしたことを照れたように、「あんたとこ、崩れてない?」と地震を心配したようなことで電話をくれました。こないだはキレられて悲しかったと言います。あははっ!と笑っている母。それよりも、父が食道ガンの内視鏡手術をして、その経過が良好とのこと。そっちの方が重大ニュースだけど!電話を父に替わってもらって、しばらく話します。子どもの頃は、母がもし死んだら私もその日に死のう、いっそのこと草スキーで母と一緒に死にたいと思うほど母が大事だったけれど、大人になったら父の方に味方したくなります。成長、経年、遠くから見守ってくれる人の方がありがたい。


午後、合羽橋にひとりで出かけました。

合羽橋にどうしても行きたくなったので。今日は有給休暇消化の2日目です。自由にあちらこちらを歩き回って、豆すり鉢(親指と人差し指を合わせて丸くしたくらいの大きさ)と、ステンレスの水炊き鍋用の鍋(これまで水炊き用に使っていた鋳物の鍋は重た過ぎて鍋の回数を減らしたくなるほどだったから)と、鍋用の器と、シリコンスプーンの大きいサイズ、あれこれ買い込んで、そのどれも好きなものばかりで、じーんと、しんみりとしながら地下鉄の駅まで30分ほど歩いて、地下鉄に乗って帰ります。

TPは今日も忙しかったらしく、遅く帰ってきて風呂に入って、また机に向かって何やら忙しそうにしています。晩ごはんは、自家製の弁当。忙しそうだったので弁当箱に詰めて食べやすくしてみました。(何ていい奥さんなんだろう!!!それほど喜んではいない様子だったけれど、それでも!!)あたしは明日もお休み。お掃除をしようと思ってワクワクしています。