せっけんを買うこと

今日は平日の定休日、朝からテンション高めにTPを駅まで見送り散歩して、大回りで隣りの区のあたりまで歩いて、戻ってきます。

先日、読売新聞の一週間無料お試しを申し込みました。上京してすぐ、新聞が家に届かないことが淋しく、辛かったのでずっと新聞を申し込んでいたけれど、ここ数年は新聞を止めていました。月に4千円のお金から開放されたかったのでしょうか、それとも、情報が毎日入って来ない生活に憧れたのでしょうか。キンドルを買ってみて、どれほど読み飛ばすものだって、買ったものじゃなくて図書館で借りたものだって、立ち読みするもの、ブックオフに売ろうとする本、どれも本という形だけでしか与えられないものがあることが、泣きたいほどにわかってきました。インド旅行から帰ったときに、箸で食べると味が少なく感じた、あたしはもう右手で食べときの、手が感じる味わいだけが本当だったんだと感じたときと、同じくらいの切なさで。本の半分は手で読むもの、食事は手と舌で味わうもの、目だけに負担をかけずに、手でめくる新聞からしか伝わらない世界があります。これから数社、新聞を試してみて、よく考えて決めましょう。

冷蔵庫を自由にホワイトボードとして使ってみましたが、ただひとつわが家で切らしているもの、買い物リストとしての「せっけん」が、なかなか買えません。風呂場のせっけんは、すっかり小さくなってべっ甲飴ほどの大きさ、ボディーソープ、ハンドソープ、洗顔フォーム、TPのひげ剃り用のムースっぽいもの、どれも風呂場には無く、せっけんひとつを使い回しているので、せっけんはあらためて重要。買い足さねばと思っていても買い物のときに買い忘れて、家に帰ってきて冷蔵庫を見て、あ、しまった!と思うだけの数日間、今日はあえて、せっけんだけを買いに出かけます。薬局。匂いがついている方がいいし、植物性とか無添加とかはあまり関係ない、ただせっけんとして堂々としてくれていればいい。3個入りで198円のせっけんを買って帰って、やっとひと仕事終えたような安心感、大満足です。