南の方へ

朝、レンタカーを引き取りに行くTPと二手に別れて、私は「ポークたまごおむすび」を買いに行きます。すでに20人くらいの行列!暑い暑い暑い暑い、そして行列は進まない進まない進まない!ブーブーと嘆きながら、40分ほど待ってようやく、ポークたまごおむすび、略してポーたまをゲットします。一個230円。

TPと待ち合わせて、今度は沖縄本島の南の方へGOです。

「旧海軍司令部壕」。入り口までの白黒写真で、思わず目を伏せたくなるのをグッとこらえてしっかりと見る。少女の足に湧いたウジ虫はガジュマルの木の根っこのように。壕に足を踏み入れると、死の臭いがしそうなほどの苦しさ、血しぶきは当時のままに。当時の人たちの責任感に胸がつぶれそうになります。

続けて「ひめゆりの塔」へ。

当時、17歳で従軍して怪我した軍人さん、病氣の軍人さんの看護をされていたという案内の女性の、お声の元氣なこと、朗々と、通り過ぎる人たちの質問に答えられて、目が合った人にちょっとした説明をして下さいます。私もその流れに参加して、あれこれと質問をします。当時の軍人さんたちは、沖縄の方ですか?それとも・・・そう尋ねると、中国の人が多かったですね、その頃はもう男の人たちはあまりいなくて、沖縄の少年とか、県外の中年の人とか、というようなことを教えていただき、少女の目に残った怪我をした軍人さんたちの姿を思い浮かべます。

TPがひめゆりの塔の資料館見学で一瞬見たという地図にあったらしい、荒崎海岸の「花が散るって書いて・・・(後に「ひめゆり学徒隊散華の跡」とわかった)」に行きたいとのこと、カーナビにも道が映らないあぜ道のようなところの入り口で車を停めて、暑いけん門ちゃんはここで待っとってと、藪の向こうに消えてから45分も帰ってこないので、崖から落ちたかハブに噛まれたかと心配していると、てくてく歩いて戻ってきました。見つけた・・・けど車は通れそうにない、でも車が通れそうな道はあった、そう言ってエンジンをかけてひと回り。


案内板が無いなか、ぐるぐると道を探して採石場みたいなところを抜けてようやく、小さな看板が。


(心の中で、ハブに注意、ハブに注意と唱えながら藪の中の道を抜けて)


海に出て

崖の上の道を歩いて

ようやく碑のあるところへ

手を合わせます。

TPによく探したね、ど根性やね、でもああいう風に時々あたまがおかしくなったみたいに暴走することがあるやん?ああいうときってどんな感じ?などと質問します。本人は集中しているときは何も見えていない、何も考えていないよう。たどり着けると思っていない場所に行けたことに感謝感謝です。

またレンタカーに乗って斎場御嶽(せーふぁうたき)へ。案内の方に30分ほどのガイドをお願いして、一緒に周ります。崖下の窪みで祈りを捧げていたよう。裏側にも同じ窪みがあります。この窪みは、掘ったんですか?と質問すると、掘ったんじゃなくて屋根になっているところが一枚の大きな岩なんですよと教わります。他にも直方体の石の上をわずかに削っただけの「香炉」という説明が何度も出てくるので、これが香炉って、どこでお線香を燃やすんですか?と質問すると、沖縄ではお線香を燃やさないことが多いんです、ただ上に乗せるだけ、祈りが終わったら持って帰る、とのこと。聞いてみなければわからないことだらけ、300円でガイドをお願いして本当に良かった。


すぐお隣りの知念岬に寄って、那覇まで戻ります。

職場へのお土産を買って、いつの間にかもう夜の8時。暗くなるのが遅いから全然わからなかった。お腹がすかない私とお腹ペコペコのTPは今晩は別行動、TPはどうやら那覇の街に名残を残さないように歩き回ったらしい、歩いて歩いて24時間営業の食堂でステーキ定食を食べたらしい。くたびれ果ててぐっすり眠っていたので、そんなことはつゆ知らず、夢の中でした。グウグウグウ。