好きにしてくれたら

父の病氣のことはさておき、仕事で改善すべき点が10個くらい見つかったものの(私は普段の個人的な動きでは、改善名人だと思っているのです)、それをイケイケの自信たっぷりの、むしろ過信寄りのひとたちにどう伝えようかと悩んで眠れなくなりました。3時間だけうつらうつらして、体調悪いので在宅勤務を申し出ます。

 

夕方、なんか体調が変だなと思ったら朝から何も食べて無かった。それはさておき、少しずつポストに届く年賀状、うれしくてキャッと言いながら読みます。いつも「今年もよろしく」だけだったひとがあれこれ近況を書いてくれていたり、20年も会っていないひとが、グーグルマップで私の住所を検索して、あまりにも古いアパートだから笑ったと書いてくれていたり、自己流のマジックを老人ホームで披露するボランティアをする写真があったり、ひとりキャンプにはまったと教えてくれるひとがいたり。会えなくても、年に一度、思い出したり思い出してもらったりすることがいいわ。元氣出るわ。

 

在宅勤務&残業を終えて、パソコンを閉じます。ようやく、少しずつ、通なひとしかゴールまでたどり着けないであろう迷路の、最短距離を見つけます。正月返上で作ってみたフローも「とてもいい」「きれい」「ありがたいです」などと喜んでもらいます。そうか、私は今、私なりの芸術活動に熱中しているんだ。誰も思いつかないやり方で、私だけが美しいと思う道を歩くんだ。ようやく、2021年が始まったかも、そう感じます。私だけの景色を見る。

 

夜、母からのメール「お父さん、診察で甲状腺が悪く、治療をしながら、1月に膀胱癌の手術で2月に喉頭がんの手術をするそうです……」とのこと。私からの母への返信は「…ひっ、ボロボロやん。たまらないですね。天国のおばあちゃんに全力で祈ってみる。また電話しますね。」です。父は、2度手術を受けて回復はするんだろうか?それとも、このまま死んで行くんだろうか?ふわふわと浮くようにスーパーまで買い物に行って帰って、帰り道「どっちでもいい、本人の意思に任せよう」そう思います。元暴れん坊の父とは、年月を経て、ぞっとするほど話しが通じるので、言っても言わなくても全部がまるっとわかっているので。好きにしてくれたら、それでいい。