早朝。母が「お姉ちゃん、お父さんがもう危ない」と起こしに来ます。慌てて階段を降りると、弟妻も側にいて、父の呼吸が荒くなっています。看護師さんたちからは、最期が近づくと無呼吸（１分ほど！）が数回続き、呼吸が荒くなったり人によっては暴れたりするそう。こんな早朝に父は逝くのか、そう思いながら父の手を握ったままがっくりとうつむいて、ふと見るとベッドの下に酸素マスクのチューブの先端が見えます。「あれ！？」と大声を出して酸素の機械を見ると、チューブが刺さっていません。「抜けとう！」と言って、慌ててはめ込みます。やがて、穏やかな表情になる父。何だ！酸素が抜けとったんだ！と全員で大笑い。母「先生が昨日、マスクに変えるときに手こずっとったやん、なかなかはまらんで」と先生のせいにしています。確かにチューブは軽く引っ張っただけではなかなか抜けません。お父さん、酸素も無いのにマスクだけはめて一晩がんばったんだな。ありがとうね。笑ったら、昨日の喧嘩を引きずって不機嫌だった弟も少し機嫌を戻したよう。ぷぷぷ。
大阪、京都、東京へ、夕べのあの世へ行く寸前の父を囲む会を終えて親戚たちは今日、それぞれに帰ります。母がＴＰに作ってくれたサンドイッチは、どなたかの手土産の甘いパンで挟んだものかだら、甘ーい味の何とも言えない代物だったそう。
朝、ＴＰは散歩へ。弟妻のＫさんが「お兄さん、お昼ふくちゃんラーメンに行くんやったら名前書いてきたらどうですか？」と教えてくれます。まだ朝の９時３０分だけれど、名簿に名前を書いておけば昼に並ばずに入れるらしい。
お父さん、おはよう。今朝の父は目が開いています。私をしっかりと見てくれているので「◯◯（私）よ。お父さん、一緒におるけんね」と言うとじーっと私を見ています。
ＴＰ、本当に名前を書けたとのことで昼、２番めに入店できます。父が最期にふくちゃん食べたかったなーと言っていたそうなので、胸がいっぱいで、おいしいけれど一杯は食べられずＴＰに食べてもらいます。
「父にスープだけでも持って帰ってやりたい」と言うとＴＰが自販機で小さいボトルを買って中身を飲んで軽く水ですすいで、持ち帰り用のペットボトルを用意してくれます。そこに、こっそりレンゲで２杯スープを入れます。弟たちも数日前にラーメンを食べに来て、ことの経緯をご主人たちに伝えたところ「あのワンタン麺のご夫婦が」と涙ながらに悲しんでくれ、持ち帰り用のふくちゃんラーメンを一箱下さったそうなのです。母はそれを棺桶に入れると言っていたっけ。父も夢の中で私と一緒にふくちゃんラーメンを食べていますように。
家に帰ると、父の親友夫婦がまた来てくれています。もう動かずに息だけしている父をじっと見つめています。
やがて訪問看護師のＳさんが来て、身体と口腔ケアをした後で、父の手も洗ってくれます。「良かった！足の指の間みたいな臭いがしていたんです」そう、除菌シートで消毒しても臭かった父の手。Ｓさんは持参したラベンダーのオイルで手をマッサージしてくれ、オイルもプレゼントして下さいました。「お父さん、良かったね！これでマッサージしようね！」
東京に戻るＴＰも、父の手を取って「おと、お父さん。おいしいものをいっぱい、ご馳走していただきありがとうございました。。。◯◯さん（私）は、大丈夫です」と言ってくれています。（あ、噛んだとか思います）
ＴＰを玄関で見送って。父の親友夫婦も帰って。母も弟一家も用事ででかけて、父とふたりっきりの時間。今日も日が傾いてきました。「お父さん、夕方長いね〜。さっきね、ＴＰとふくちゃんラーメン食べてきたよ。おいしかった〜！やっぱりふくちゃんラーメンが一番やね。ありがとうね」と話しかけます。反応は無いけれど聞いていると信じて。
弟一家も母も帰ってきたので、父の部屋で昼寝します。２時間ほど寝たところで、ふと身体ごと呼ばれた氣がして、階段を降ります。父は穏やかに呼吸しています。「お父さん、昼寝してきたよ、氣持ち良かった」と話しかけていると、外で弟とサッカーをして転んだという甥っ子が「ヤダー！消毒したくない！」とワガママ言ってギャン泣きし始めました。父、うるさそうに顔をしかめる！やっぱり耳は聞こえているんだ！「お父さん、うるさいね」などと話していると、弟妻のＫさんが「あ、息止まってないですか」と言うので「大丈夫よ、最期が近いと無呼吸が１分ほど続くって」とまた息をしたような雰囲氣、「でも、息が止まっているような、お父さん！お父さん！」弟も「お父さん！」と大声で呼びかけ始めたので私はふと握っていた手を離し、みんな大げさだなと余裕ぶっこいていたところ、母が脈が取れないと大騒ぎし、弟も心臓の音が無いと騒ぎでケアマネさんに電話して！と怒鳴り、本当に父は逝ってしまっていました。１７時１７分。
あれ？お父さん、あっちに行く時は教えてって言ったやん。と元父に向かって言ってみます。でも「脱出成功やん！すーっと。良かったね！おめでとう」と拍手します。辛かったね、でももう辛くないね。私は側にいた甥っ子に「これ、お父さんの抜け殻。セミの抜け殻みたことあるやろ？」と言うと小さくうなずいています。「じゃあ動物の赤ちゃんになるの」と言うので「違うよ、また人間の赤ちゃんになるとよ」と答えます。
皆で、ふくちゃんラーメンのスープをチンして、スポンジにつけて開いた口の中の舌にちょんちょんと付けてやります。
看護師のＳさんも来てくれて。「私には心音も脈も聞こえません。先生の到着を待ちましょう」母、興奮してあちこち電話かけまくっている。弟が「まだ先生が来てから、正式に診断もらってから電話しい」と言っても、あちこち電話は止まりません。葬儀屋の番号！とかお寺！とか大騒ぎ。「◯◯（甥っ子）が、今日は絶対に出かけたくないって言ったけん、最期に立ち会えた」などと甥っ子の手柄になっている様子。（私だって昼寝から起こしてもらったのにさ）
１時間後、先生が自宅から来てくれ、心音と脈と、指先の酸素（無反応）を計ってくださり「１８時４０分、もう息も止まっていますね。立派に旅立たれましたね。ご家族に見守られて幸せだったでしょう。昨日は酸素もマスクに替えて、呼吸も楽になったかと思います」と仰るから母と私は思わずプッと吹き出して。
看護師のＳさんは、全身の処置をしてくださいます。家族を集めて、皆で父の身体を拭かせてくれます。シャンプーもしてくれます。氣がつくと先生も身体を起こしたり傾けたりするのを手伝ってくださっています。そっとおむつで隠しながら、尿管に管を入れて、お腹を押して尿を抜き取り、肛門からも残ったうんちを掻き出しているよう。先生が死亡診断書を書いてくれ、外でお見送りして、看護師のＳさんとも少し立ち話しして。「私も先生が洗浄の手伝いをして下さったのは初めてで、戸惑いました」と言うので笑います。看護師さんの車に、色々とお借りしたもの（痰の吸入器やらおむつやら）を運んで、見送るときに母が私の手を握ってきます。もう夜。三日月がきれい。
そこから、葬儀屋さんがドライアイスを持ってきて、長々と説明を始めるから「皆、今日の今日で疲弊しているので、手短にお願いします」と言います。
父は角膜の提供を望んでいたからアイバンクに電話して。夜中の１２時、福大病院から眼科の若い先生がお二人、見えました。元父に手を合わせてくれ「ご家族の皆さんは別の部屋に」と仰るので「見たいひとは、中に居てもいいんですよね」と言うと、少し離れたところで見て良いとのこと。私だけ部屋に残って、お医者さんの背中越しに、角膜を取り出す手術を見ます。まず小さいハサミでパチ、パチ、パチと黒目あたりを切っている様子。それからちょっとメスを使って、ピンセットで角膜を取り出してオレンジ色の容器に、何かの液体に漬けます。ガーゼで切り取った部分を拭いて、義眼らしきものを入れています。反対の目も。４０分ほどの作業でしょうか。「祖母のときは下関だったんですけど、２４時間以内なら提供できました。福岡は１２時間以内なんですね」「はい、県によって決まりが違うんです。福岡は１２時間以内で、勝手に決められていることなんです」施術が終わると先輩の方の先生が「見ますか？」と角膜を入れた容器を見せてくれます。うっすらと周りが黒く、透明な角膜が２つ。「２人の方にもらっていただけるんですよね」「いえ、２つとか３つとかに切り分けて、提供することもあります」すると２〜６人の方が、光がわかったり何かが見えるようになったりするんだろうか。何だか希望が出てきました。
先生たちが帰るとき、タクシーを呼ぼうと電話すると全車出払っているとのこと、母が「送って行きますよ」と言うので弟が全力で止めます。「やめとけ。親父が死んだ日に運転なんかしたら事故するぞ」外でタクシーを捕まえるという先生たちを玄関で見送ります。
弟「変な家族って思われたやろうな。ひとりは角膜取るとこ見たいって言うし、ひとりは車で送って行くとか言うし」とつぶやいています。元父の身体は、胸元と頭のあたりにレンガほどの大きさのドライアイスを載せて、ひんやりとしています。エアコンの温度も２０度ほどにする必要があるそう。母はキンキンに冷えた部屋で、父の横で寝ると言って冬用布団を運び込んでいます。私はＴＰに残した留守電、今朝東京に戻って留守電聞いて驚いただろうなとか思います。長い一日だった。あーあ、とうとうててなし子になっちゃった。学校でいじめられたらどうしよう。あーあ、お父さんが居なくなっちゃった。父の部屋で、父のベッドで眠りながら、父の魂が私に何か話しかけてくれないかなと期待しています。お父さん、今どこにおると？ものすごいきれいなとこやない？感激しとっちゃない？すーっごいきれいなところやろ？何が見える？教えて。
