浮き沈み

monna88882016-03-26

土曜日。Qちゃんが「カシオ記念館に行こう」と正月明けに誘ってくれていたっけ。今日がその日でした。昨日、確か明日じゃなかったっけ?とあわてて連絡を取り合い、RCがまとめてくれて、成城学園前の西口で待ち合わせ。なのになぜかQちゃんは中央口から出ていたらしい。西口で待ちぼうけだったRCとふたり、あまりにもQちゃんらしい登場に軽く感動します。中央口へ行ってみるとQちゃんの娘、Nちゃんもいました。久しぶり!と手を振って4人で成城の街を歩き始めます。駅前の通りは、桜が咲き始めています。思えば、QちゃんともRCとも20年ほど前に福岡県の油山で出会ったっけ。そのことすらどうでも良くなるほどの長いつきあいなんだなあ。

Qちゃんは、どういうわけか歩くスピードがものすごく遅くなっています。世田谷の住宅街をてくてくと4人で歩きながら、ここにひと家族一軒の家を持って暮らしている人たちがこれほどたくさんいるんだと空ばかりが青くて、庭木ばかりが目に入るような感覚。

カシオって、樫尾さんという人が作った会社とは全く知らんかった。カシオの1000円デジタル時計をはめた左手までドキドキしているかのよう。誰でも予約をすれば、無料でお邪魔できる樫尾さんの家、上品な男性がツアーコンダクターのように案内して下さり、つかの間の上流階級氣分を味わいます。

それより何より、樫尾家の人たちの結束、兄弟の役割分担、発明ということへの情熱と憧れ、世田谷の土地、暖房の暖かさと心地良い空氣、座り心地の良い椅子やちょど良い光の加減、発明…


何て贅沢なんだろう。誘ってくれたQちゃんに感謝しながら、行きとは違う道で駅前まで戻ります。私がみんなの後ろ姿を写真に撮っていると、Q娘のNちゃんがそっと横に来てくれて、ふたりで眺めるともだちの後ろ姿。Nちゃんは今のところ自分から声を出すことを忘れているかのように無口だけれど、これからどんな大人になるんだろう?Nちゃんが生まれてすぐ、Qちゃんが入院していた病院へ行ってNちゃんの小さい爪を触りながら「ようこそ。新しいおともだち、ありがとう。これから長い間、どうぞよろしくね」と挨拶してあるから安心の関係です。てくてく歩いて駅前の古い喫茶店でコーヒーを飲みながらお喋り。RCが何だかひと山超えて頼もしくなって、何より可愛らしくなっているのが人生の不思議です。Qちゃんがひとつの限界のところまで来ていると教えてくれました。金銭面の不安や、自分の淋しさ、生活や家族関係の不安、仕事のプレッシャーや将来の不安、不安だらけ。まるで風呂桶の栓が抜けたように、不安ダダ漏れのQちゃんでしたが、私も、きっとRCも、全く同じ氣持ちのときがある。わたしたちは、順番に沈んだり浮き上がったり、沈んだり浮き上がったりしながら見守り合って暮らしているんだ。支え合っているんじゃないってところが味噌で、1年間に何回会うかどうかなのに、ただ見守り合っているんだとよくわかりました。もう出会って20年以上だもの、それぞれの浮き沈みくらい何てことありません。