地図の上を歩き回る

monna88882015-10-26

早めに目覚ましをかけて「アンネの家」に向かいます。アムステルダムではあと2泊。この宿を連泊するかどうか少し悩んだけれど、新しいところに挑戦してみることにしました。やっぱり今日も、アムステルダムの建物はぐんにゃりと歪んでいます。

すぐ裏手の清潔そうな宿は朝ごはんつきで80ユーロ。部屋を見せてもらうと清潔でとても感じが良かったけれど、何となく、何かが違うような感じでそのお向かいの宿へ。受付の男性はエドワードヤンそっくりの微笑み、また中華系の男性です。洗練された語り口が優しく、65ユーロだけど狭くて、古い建物だからエレベーターもないけど大丈夫?とのこと。部屋を見せてもらうと確かにベッドひとつで部屋はいっぱいになるほど狭いけれど、最上階で見晴らしも良く、シャワー室も新品でキレイ、とっても感じが良いのでここに泊まることにしました。エドワードヤン似の人は、先週友達が日本に言行ったんだよ、と送られてきた写真を見せてくれて、煙草はどこで吸えますかと尋ねると、中庭でもいいし、窓を開ければ吸っていいよ、ヨーロッパの宿は禁煙が多いけれどあなたは日本人だから、窓を開けたら吸っていいんだよと優しく言ってくれます。優しい人ってそれだけでもういい、この宿に決めて良かった〜と喜んで、荷物を置いて出発です。

エレベーターが無いので、長い階段を転げ落ちないように注意せねば。出口のドアの開け方がわからないでいると、ヤンは監視カメラで見てくれていたのか、サッと来て、赤いボタンをボチッと押して開け方を教えてくれました。親切な人。

歩いて歩いて、街の中心部へ。アンネフランクさん一家が、家族からひっぺはがされて連れて行かれるまで暮らしていた屋根裏部屋が、本当に存在しているのです。開館前の8時40分に到着するともう、300人くらいの人が並んでいます。その人の多さ、列の長さに圧倒されて、TPと運河にかかる橋の上で話し合った末に、明日の最終日に再チャレンジしようと決めます。来る途中に見た、オランダ名物のパンケーキ屋さんで朝ごはんです。


お店の人の感じの良いこと!アメリカやフランスからきた観光客の人たちは、飲み物を頼まずに水を頼んでいます。オランダも水道水が飲めるよう。TP、リンゴのパンケーキ。あたし、ベーコンとハムのパンケーキ。届いてみると、ベーコンパンケーキがあまりにも美味しく目がつぶれそうなほどでした。TPに半分分けてやると大喜び。

さあ、アムステルダムの2日目はまだ始まったばかり。今日も歩くぞー!またあちこちの広場、運河を渡って飾り窓地帯、世界中から集まった女性たちが、お金を払って窓のある小部屋を借りて、男性を魅惑的に誘って、生活費を稼いでいるという場所を通り抜けると、まだ朝だというのに黒人の女の人が下着姿で、窓からお尻をふりふりしています。何てキレイな人なんだろう。モデルみたいな女性や、少し歳を重ねたらしい女性、誰もがウエストがギュッと締まって格好良く、お尻を振ったり、朝ごはんを食べていたりします。歩き方には、日本人はぼったくられると書いてありました。遠慮して払っちゃうからかな?小道の真向かいは由緒ある教会。生老病死がギュッと詰まった地域を抜けてまた広場へ。もう広場に行き過ぎて自分がどの広場にいるのかわからなくなってきました。お昼。歩いているうちに宿の近くに出たので、オランダのスーパーで買い物をして、宿に戻ることに。2時間ほど昼寝をします。やっぱりお向かいのアパートではカーテンを開けっ放し
でランチをしています。


日が暮れかけて、TPを起こしてゴッホ美術館へ。並び方がよくわからず、2メートルほどの身長があるオランダ人男性から、低い声で注意されて、猿のように列に並びます。震えるようにして入ったゴッホ美術館、ムンクと同時代にパリで過ごしたのにふたりは一度も出会わなかったというコンセプトの展示、ムンクがだんだんとおかしくなって行く様、目ん玉をむき出しに描いたり、ゆがんで行く絵。ゴッホは内に内に入って行くような絵、最初の方からあの不思議な色を横に塗り重ねるタッチだったのか、これは売れないだろうなと思いながら涙ぐむように本館と新館を渡り歩きます。アムステルダムの夜、2日目。晩ご飯はまたしてもライツェ広場でリブステーキを食べました。


テラス席に座って、ひと皿1000円ほどの料理を食べながら、色んな人たちを観察します。ありとあらゆる国から観光に訪れている人々。もういったい、今が何日目かもわからなくなってきます。まだたった一週間なのに、違う星に来てしまったかのよう。宿に戻ると、ヤンさんとは別の人が受付にいました。ラテン系な感じの人。明日も泊まれるか尋ねると、支払いは今しないと、夜中にネット予約で埋まっちゃうと早口で喋っています。ほんの少しボーッとすると「アーユーアンダースタンド?」と強い口調で言われて少し凹みます。氣を取り直して「アイアンダースタンド」と答えると、リズムが違うのか何故か「ユードントアンダースタンド」と決めつけられて同じ説明をまた繰り返し始めました。わかったわかった、そう伝えて宿代を払って、ほんの少しだけ沈んで過ごしました。ベネチアのレストランで同じような目に合った時、客引きの人の早口で読み上げるメニューに対応できずにいると、もういいもういい!またね!チャオチャオ!と追い払われた記憶が蘇ります。あのとき私が言うべきだったことは「私は、メニューが読みたいのです!あなたこそチャオチャオ!」と場を外してもらうべきだった、そうTPに宣言しました。今回はそのヨーロッパで得た傷を、ヨーロッパで癒してもらうために来たんだ、こんな小さなことくらいで傷ついたりはしない。少しずつ、強くなって、少しずつ、自分が望んでいることを伝えられるようになればいいだけのこと。でも不思議と心は痛くありません。ドイツの人も、オランダの人も親切な人が多いからでしょうか?ポケットからゲーテ君を取り出して、お喋りしながら、今日も歪みにゆがみまくっていた建物を思い出して、TPとお喋りをして、パンツを洗って乾かして、居心地の良い宿の夜は更けて行きます。

一日中、歩きに歩いた。地図の端から端まで歩いた。洗っては履き、洗っては履きしてきた靴下もとうとう「もう限界です…いっそのこと、捨ててください」そう言っているような氣がしました。