川棚グランドホテルへ

monna88882016-08-21

共有スペースの畳の上で目が覚めると、色んな声が耳に入ってきました。「あの頭は男じゃろか女じゃろか」「ほら、お花の先生してたでしょう、ご家族」「女よ」「あなた知らんほ?いつも私の隣りで食事してたでしょう」どうやら布団を被って寝ている間に、老人ホームでは朝食が始まっていたようです。「薬は水じゃなくてお茶で飲んでもええかな」「すみません、お白湯ください、薬飲みまーす」「すみません、お水ください、薬飲むから」話題が移ったところで、そーっと起きて、すみません、お邪魔してます、ペコペコと祖母の部屋へ行こうとすると「お婆ちゃん元氣?」お知り合いだったと言う方が声をかけてくれました。もう大分悪いですけどまだ持ってくれていますと答えてお礼を言います。昨日も若いヘルパーさんたちが仕事終わりに祖母の部屋に何人も立ち寄ってくれて、涙をボロボロと流して、ごめんなさい泣いてしまってと謝っているので、泣いてくれて嬉しいことを伝え続けました。

祖母の部屋に戻ると、まだブラジル対ドイツのサッカーをやっていたので驚きます。延長戦らしい。ホッ、まだ祖母は生きていたし、伯父伯母はベッド脇でまだ手を握ってくれています。伯父伯母は何て優しいんだろう。それに引き換え…。ふと思い出して、父に電話してみました。「もしもし〜、お父さん?」努めて明るい声を出すと「よしよし、その声でわかったわ。大丈夫やったんやな」父も眠れなかったそう。もう福岡を出るところと言っています。どうやら今日は母が随分前から予約していた、豪華温泉ホテルに泊まるらしい。それは自分のお楽しみのために予約していたけれど、一緒に泊まるはずだった父のいとこ夫婦が、お婆ちゃんがこんなときに、自分たちだけ楽しむなんて氣分になれんと断られたそう。朝ごはんはイカのお寿司。下関の魚はスーパーで買ったものでもやっぱり美味しいわぁと感激します。お婆ちゃんにも、美味しいよ〜と教えます。

1時間半ほどで、福岡から到着した弟家族と父母。弟は部屋に入るなり祖母のベッドサイドに駆け寄って、お婆ちゃん、俺よ、わかる?来たよ。そう手を取って話しかけています。父は遠くから見ているだけ。母は「あんたにサンダル持ってきたよ。これなら入るんやないん?」早速葬式の話しです。

夕べ、お婆ちゃんに歌を唄った、如来大悲とか大きな栗の木の下で…そう言った途端に母は「そうやった、それがあった!あんたよく思い出したね」おおきな栗の木のしたで〜と踊りながら唄い出したので慌てて合わせます。あなーたーとわーたーしー、なかーよーくあそびましょー。キョトンとした顔の祖母。それを見ていた甥っ子の赤ん坊が、ケタケタケタケタッと笑い出しました。ひっ、笑ってる。母は赤ん坊が笑ったことが嬉しいのか、立て続けにかもめの水兵さん、ギンギンギラギラ夕日が沈む、次々と唄って踊って止まらなくなりました。その度にケタケタケタケタッと笑う赤ん坊。チャッキーのような笑い声。父も、とうとうぜんまいが壊れたと氣味悪そうな顔で見ています。昨日、眠れなかったという父が一服してから昼寝すると言うので付き合います。まぁ、どっちにしてもお前が帰ってから葬式になっても、お前は出んのやろ?と聞かれたので、うんと答えます。それにしてもお婆ちゃん、よく長生きしてくれとうねぇ。いつ行くとかいな?こればっかりはわからんもんなぁ。ふと、でもお婆ちゃんがおらんくなったら淋しくなるねぇ、もう会えんくなるっちゃもんね、淋しいねぇとつぶやくと、父は何も答えずに海の方を見て、顔に手の甲を当てている様子なので見て見ぬ振りをします。

畳の部屋で寝ようとしていると、ヘルパーさんが「もし良かったら、カラオケルームがあるからそちらで休まれたらどうですか?」と、静かで涼しい部屋に案内してくれました。有り難く仮眠させてもらいます。弟家族は、散髪とサウナに行きたいという伯父を車で送って行くそう。今着いたばっかりでご苦労やねぇと見送って、グゥーっとまた1時間半ほど眠ります。私は8時間は寝ないとめまいがしておぇーっとなるので、小間切れの仮眠でも何回でも深く眠ることができます。真っ暗なカラオケルームで父と仮眠を取って、目が覚めて祖母の部屋に戻ろうとすると、帰ってきたばかりの弟家族が買い出しを頼まれたから市場に行く、一緒に行こうよと連れ出してくれました。カモンワーフ。巨大な観光用魚市場の1階は、にぎり寿司を買い求める人であふれ返っています。汗を拭きながら寿司を選びます。一貫100円のにぎり寿司を50個ほどと、一貫300円のウニ軍艦巻きを4個。ウニ4個なら喧嘩になるやん、そう言っても、大丈夫とのこと。

買い出しから戻って、カラオケルームで昼ご飯。鯛、立派!うわぁー、ハマチ美味しい〜!この世に生きている者だけが味わえるような美味しさを誰もが堪能します。たった4つのウニ軍艦は、伯母、母、私がまず頂きます。美味しい〜!ウニが6〜7枚も乗っているのだから美味しいのは当たり前です。しばらくするともうひとつ残ったウニを母が、これ誰も食べんのね?と手に取っています。俺、食べてないもんね、父の声。お父さんまだ食べてないよ、そう言ってもなお、それを振り切って口に入れる母。ウニ、美味しい〜!今度からこのウニがいいね、飲み干した後で、何ね、お父さん食べてなかったんね!と笑っている母は、悪魔のようです。

授乳をするという弟家族をカラオケルームに残して、祖母の横に戻ります。母が「お義兄さんは今日もここに泊まるって。温泉行かんってよ。お父さんも残ったらいい」伯母が「そうねぇ、兄弟水入らずで」どうやら温泉旅館は2部屋しか予約をしていないから、弟家族が来たならひと部屋足りないからと父を置いて行くことにしたよう。ヒィー、恐ろしい母。

お婆ちゃんはどんどん呼吸が荒くなって、眠る時間が増えてきました。口も開けっ放しなので喉が渇くだろうと、エラの部分の唾液が出るツボを押すと、とても氣持ち良さそうにしています。さすって、さすって、さすります。

母が、温泉に行くなら車が足りん、レンタカーを頼まんと、そう言って弟の携帯に電話をすると、何ね、あんた唄いよるんね!アハッ、あーははっ、ノリノリやん、大喜びの母。カラオケ中の弟家族を連れ出して母は一緒にレンタカーを借りにまた出かけていまいました。

お婆ちゃん、やっと静かになったね〜、うるさかったね〜。そう言うと祖母もホッとしたような顔。お葬式のことなんか氣にせんでいいよ。お婆ちゃんの行きたいタイミングで、納得したときに行ったらいいよ。ひとりで怖い?大丈夫よ、大丈夫。外は何ていいお天氣なんだろう。今日の夜は温泉に行ってくるけんね。でもそれまではここにおるけん大丈夫よ。明日の朝会おうね。そう何度も伝えると、少しだけ心細そうな顔に見えました。

15時。戻って来た母が温泉旅館に電話したら2部屋だけれど広い和室もつながっているから全員で十分に泊まれるってと言います。伯母も伯父にも電話してくれ、全員で温泉旅館へ行くことに。父に、良かったね〜、置いて行かれるとこやったね、そう言うとニタッと嬉しそうな顔。これからは母がボスやけん、母のご機嫌取らんとまた置いて行かれるよ、そう言ってみんなで大笑いします。

夕方、サウナから伯父も戻ってきたので、みんなで温泉へ出かけます。ヘルパーの方々が、みなさんが来てくれて良かった、お婆ちゃんが元氣になった、でも皆さんが帰られたときのことを思うと…そう言ってまた泣いてくれます。それでも、きっとご家族もお疲れでしょう、今晩はゆっくり休んでください、そうねぎらってもくれます。

車で1時間。川棚温泉に着きました。ウェルカムドリンクのおいしいこと!

川棚グランドホテルは、父母、伯父伯母は前に何度か来たことがあるよう。朝食がとにかくすごいと興奮して教えてくれます。ロビーに入ると私の大好きな「獅子舞」がお出迎えしてくれています。格好いい!

母と弟家族はチェックインしないままに、またどこかへ車で買い出しに出かけてしまいました。母方の祖母がいつも嘆いていたこと、本当、あの娘は鉄砲玉やねぇ、今帰ってきたと思ったら、すぐにでも出て行く。待てど暮らせど戻って来ないので、伯父伯母は部屋に入ってしまいました。父とふたりで少しずつ暮れて行く川棚の街を眺めていると、伯父が父の携帯に電話をくれて、瓶ビールを開けたから一緒に乾杯しようと誘ってくれます。父をひとり残して、お招きありがとうございます!と駆けつけます。瓶ビールの美味しいこと!窓からの眺めの素晴らしいこと!


伯父ちゃんは、この旅館での部屋割りにうちの父が、自分たちの家族をひと部屋に集めたがったと言って笑っています。自分たちは夫婦ふたりなのだから、何も狭いところを我慢せんでも。でも本当は、伯父伯母父母がひと部屋、弟新嫁甥と私という部屋割りに、えーっ、若い家族の中に入る勇氣が無いと言った私の意見を、父もそうやなぁ、みんなで一緒の部屋にしようかと喜んで決めた部屋割りだったけれど、そのことは言いませんでした。それにしても、瓶ビールの美味しいこと。


しばらくして、母と弟家族が戻ってきました。わざわざ駅前のスーパーまで行って、靴の安売りなんかでキャッキャと楽しんでいたらしい。母と弟の享楽的な性格は、本人同士もゾッとするほど似ています。とにかく夜の7時に2階のレストランに集まることにして、まずは温泉に身体を沈めます。

母、伯母、私、新嫁の4人で、とっぷりと川棚温泉に身を沈めて、お婆ちゃんの思い出話しに花を咲かせて。改装されたばかりと言う温泉の壁には、山頭火さんの句があちこちに書かれてあります。そのひとつひとつの素敵なこと。温泉から上がって売店で、山頭火さんの文庫本を早速買いました。

山頭火句集 (ちくま文庫)

山頭火句集 (ちくま文庫)

山頭火句集。財布もってきていないと言うと、部屋のカードキーでつけておけば買えるとのこと。お婆ちゃんの貯金から今回は全部の予算を出すとのこと、何でも買っていいよなどと言われてもこの本だけで十分です。お婆ちゃんはいつも氣取っていて、すぐに会話の中に俳句や和歌を入れ込んでわけがわからなかったっけ、文学や歴史が大好きだったからきっと喜んでくれるでしょう。一緒に読もうね。


うまき。瓦そば。牛鉄板焼き。豆腐サラダ、ひつまぶし。お腹がはち切れそうになるほど、食べて飲んで、食べて飲みます。「何ねこのウナギ、泥臭い!たかせの方がおいしいね」母はそう言うけれど、私はこの時間を大切にしたいから無視します。家族全員集合で、温泉旅館に泊まることができるだなんて、こんな有り難いことはありません。


今もお婆ちゃんは、荒い息でひとり、老人ホームで寝ているんだろう。部屋に戻ると弟はスマホ三昧、お嫁さんは髪を洗いに温泉へ、母はまた孫に唄って踊って、甥っ子はキャキャキャッと笑ってチャッキーになっています。母と弟は瞬間的な喧嘩を重ねに重ねながらも、離れたところから見ると本当に仲のよい似た者同士の親子。男子マラソンの中継で、猫ひろしは?と母が言うと弟は、もうとっくに後ろの方よなどと、ゴロゴロと寝転がって会話しています。母を亡くすことをまだ受け止め切れていないような父はベッドで眠ってしまって、私はひとりで山頭火の句集を読みながら窓際で。窓の外を見ると満点の星、空には満月から少しだけ欠けた月が浮かんでいます。眠れそうにないので、母から安定剤をもらって一錠、飲みました。お婆ちゃん、明日の朝、会おうね!