泣いて泣いて泣いて

monna88882016-08-22

朝6時前、母から「温泉行こう」と起こされて朝風呂へ。とぷん。幸せです。朝風呂は生きている喜びのベスト1なんじゃないか知らん?川棚グランドホテルは館内移動の際に利用できる藁のカゴが部屋に備えられていますが、そのカゴの使いやすいこと!お土産屋に2000円で売られていたので、ひとつ買って帰ります。

父母伯父伯母が大絶賛する朝食ビュッフェ。ひとつずつの味の美味しいこと。みんなでワイワイ食べていると、早々に食べ終わった父だけは部屋に戻ってしまいました。私も何となく戻ってみます。「おい、テレビ!」と言うので急いで朝ドラにチャンネルを合わせて、ああでもないこうでもないとお喋り。

ホテルの前で記念撮影をして、車2台に別れて祖母の寝ている老人ホームへ戻ります。途中で、弟弟嫁甥私の4人は母方の祖母の病院へお見舞いに。ばあちゃんはリハビリの真っ最中。ばーちゃん、来たよーと言うと甥っ子を見て「まぁ、この子どこの子かん?」と驚いています。すぐに弟たちの子どもと氣付いて、ばあちゃん赤ちゃんに目が釘付け。父方の祖母は赤ちゃんに興味がないので触ろうともしない人だけれど、母方の祖母はとっても優しい性格です。病院に寄る前に買った、小さなアレンジ花とプリントアウトした甥っ子の写真を入れた写真立てがお見舞い。


母から電話が入って、大丸に中華を食べに行こうとのこと。私だけ、滅多に会えないじいちゃんちに連れて行ってもらいました。どんなに美味しい中華ランチだってじいちゃんの何てことないおかずには敵わないでしょう。おいしい卵焼き、おいしいナス味噌炒め、おいしいカボチャ煮。ばあちゃんがまだ家にいた頃に、もし転んでテレビ台に頭をぶつけたらと心配したじいちゃんが作った壁一体型のテレビ台や手づくりカレンダーを眺めながら、ポツポツとお喋りをします。「もしわしが死んだら、この家を取り壊さにゃならんじゃろ。それが140万くらいかかるそ。そのための保険金は準備してある」と保険の証書を2冊、見せてくれました。

借地代が月々9千円のじいちゃんの家。あぁ、私がセレブだったら借地代を払ってここを別荘にするのに、悲しい。じいちゃんの洗濯カゴは、破れた部分をビニール紐で修理してあります。洗濯物干しは壊れた部分を針金で繋いであります。男の一人暮らしなのにどこまでも清潔で整理整頓されていて、つつましく暮らしているじいちゃんを心から尊敬しながら、これからまた何度でも顔を見に来たいと強く願います。


弟たちがレンタカーを返却するので迎えに来られなくなりました。じいちゃんに祖母の老人ホームまで送ってもらいます。前から見舞いに行きたかったけれど、どうやら母が「死んでからでいい」と断っていたよう。祖母の部屋に入るとじいちゃんはすぐに祖母の手を取って「こんにちは!私、わかりますか?元氣出してくださいね、良くなってね」と大きな声で励ましてくれるので泣きそうになります。父方の祖母は大工のじいちゃんのことを最初はバカにしていたから、態度もひどかったけれど、だんだんと人の良さを知って、この頃は頼りにしていたのです。


見舞いを終えたじいちゃんと入れ違いで、大丸で中華ランチを堪能した母伯母弟弟嫁甥が戻ってきました。母は得意の童謡ダンスを赤ん坊に見せて、何度もキャッキャと笑ってもらっています。チャッキーのように笑う甥っ子。ベランダで仕事の電話を済ませた弟がぽつりと、外から見とったら声が聞こえんのにみんなで大笑いしよって、何か古い映画みたいやったと教えてくれます。

また何の用事か、外に飛び出して行った母と伯母。伯父、弟、弟嫁、甥っ子と私だけのときに、ちょっとした奇跡のようなことがありました。伯父が携帯電話を切って「誕生会やってくれるって言うのに、本人がおらへんって」と独り言のように言うので、えっ誕生日って誰のですか?と聞くと、伯父ちゃんの誕生日が今日だと言います。へぇ〜、おめでとうございます。すかさずおばあちゃんに「今日、伯父ちゃんの誕生日って」弟が「ばあちゃん、知っとった?伯父ちゃんの誕生日ばい」と言うと、祖母がガンガンうなずくのです。本当に?本当に知っとったと?と聞くと、うんうんと泣きそうな顔でうなずいて、思わず弟が「嘘やろ?」と言うと顔を大きく横に振るのです。弟も弟嫁もわたしも、思わず拍手をして喜び合います。さすがやね、おばあちゃん、息子への愛が半端ないわ。すごいわ、おばあちゃん。

これから晩ごはん食べに行くけどまた来るけんね、そう言って、今日も関門海峡を見下ろす絶景ホテルにチェックイン。車1台には乗れない人数なので、私だけ500メートルの上り下りの道をダッシュです。タタタタッと走ってホテルへ。ちょうど皆が荷物を降ろしているところに間に合ったので、少しだけ誇らしくなります。これからはもっと走ろう。

晩ごはんは、今度こそ焼肉のやすもりに。乾杯のとき、父が私のことを「今日で最後やな、お疲れさん。よう来てくれたわ、みんなもひと言かけてやって」と促すけれど誰も聞いておらずそれぞれのお喋りと肉に夢中で誰も聞いていません。お父さんありがとう。そんなことしたらかえって恥ずかしいやないの。誰も聞いていないけれど、お父さんは私が味方だと良く知っていてくれ、私の味方をしてくれることはきっとみんな、知っていると思うよ、プッと心で吹き出しながらそうつぶやきます。

祖母のために全員集合してから、危篤だったはずのおばあちゃんが、しっかり生き続けてくれていることに全員のテンションがおかしくなっているのか、異常な盛り上がりの夕食になります。やすもりはやっぱり美味しいし、伯父は何度も「あー、おいしい。みんなで食べるから、こんなにおいしいんやな」などと普段言わないようなことを言っています。

ホテルまで帰る道、母の運転する車は祖母の老人ホームの前を通り過ぎようとするので「えっ、おばあちゃんのところ寄らんと?」と言うと、父母伯父伯母は、もう今日はいいねと言います。母が「あんただけ行ってきたら?」と降ろしてくれたので、ホテルまでは歩いて帰るわーと言ってタタタタッと祖母の部屋へ向かいます。

ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。ますます荒い呼吸で、ひとりで部屋で寝ている祖母の顔を見た瞬間、涙がボロボロボロボロこぼれて止まらなくなります。わーん、おばあちゃん、淋しいね、今生ではしばらく会えんくなるね。やっぱりやすもりの焼肉は美味しかったよ〜。それにしてもよくがんばってくれたね、私がおばあちゃんの葬式に出たくないのがわかったと?泣きに泣いて、ベッドに突っ伏して泣いて、祖母の手にしがみついて泣いていると、祖母も眉根を寄せて悲しくてたまらない顔をして見せてくれました。あーあ、明日東京に帰るね。お葬式には出られんよ。でもこうして生きとうお婆ちゃんに会えて、本当に嬉しかったよ。今までたくさん遊んでくれてありがとう、いっぱいお喋りしてくれてありがとう。そう突っ伏して泣いていると、またほとんど動かない手で私の肩を抱いてくれます。最期の最期までおばあちゃんはおばあちゃんやった。それからみかんの花を唄って、如来大悲の歌をまた唄って、海を唄って、閉館時間になったので「また明日ね!明日、また来るけんね。でも無理せんでいいよ、行きたいときに自由に行ってね」そう言って、ホテルまで泣きながら、泣きながら、泣きながら歩いて戻りました。泣いて泣いて、温泉に浸かりながらまた泣きました。


あ〜あ、いい風呂だった。寝る前にテレビでキムタクの帰国ニュースを母を起こして見せて、さぁ寝ようと横になったところ、はっ、TPに電話してなかった!祖母は今晩が山だって、そう言って無事に福岡に着いたことだけ報告してから、経過については全く電話をしていなかったのです。忘れてた!父の携帯から電話をかけて、おばあちゃんはまだ生きていること、昨日は川棚グランドホテルに泊まったこと、焼肉のやすもりがおいしかったことなどを話します。明日、予定通り帰るねとも伝えて電話を切りました。