バガンの神様


朝6時。このところずっとTPの同伴出勤をしていたから、早起きの習慣が(生まれて初めて!)ついたのかも知れません。窓を開けるとお寺の鐘の音、家の前で体操しているおじさん。今日もこれから「バガン」というミャンマーの古都まで乗り合いのワゴン車で移動。5時間ほどで到着するそう。毎日のように長距離移動が続いていると、5時間なんてあっと言う間だと感じてくるのが不思議です。



今回は10分前からロビーで待っていると、時間通りにちゃんと迎えに来てくれて安心します。ワゴン車に乗り込んで、予約した人たちのホテルを周ります。中でもドイツ人カップル、フランス人カップルの遅いこと!ドイツ人は15分も待たされたと思ったら髪の毛がビショビショで乗り込んできました。シャワー浴びてたな!フランス人は座席指定があるのに後ろの方がいいねと勝手に移ってしまいました。後から乗ってきたミャンマー人たちがアタフタしていて氣の毒。もうひとつ驚いたことは、行商の人みたいなミャンマーの人が乗ってきたときも、わたしたちが払った金額と同じ9000チャットを支払っていたこと。外国人価格があるのかと思った。途中休憩で、私は自分で編み出した休憩時間を快適に過ごす方法で、すぐに店に入ってコーヒー2つと注文して、TPがトイレへ行っている間ゆっくりとテーブルでくつろいでいます。ドイツ人とフランス人の人たちはしばらく店の外で戸惑っている様子でしたが、私がテーブルでくつろいでいるものだから、だんだんと安心して、店の中のテーブルに座りはじめました。イヒヒ、あたしが先駆者。コーヒー2杯で600チャット、あーあ、日本でもこんなカフェがあったら何度でも入ってインスタントコーヒーを飲むのにな。ブラックコーヒープリーズ、ノーミルク、ノーシュガー、そう伝えても3分の2は砂糖入り、3分の1はミルクまで入っています。

 

 

ミャンマーの地図を上から見たとして、インレー湖を中心に下の方のヤンゴンから、チャイティーヨー、バゴー、インレー、マンダレーと右回りでここまで来たけれど、これほど道がぬかるんでいる土地は無かった。どこを見ても泥だらけ、ミャンマーの西の方は雨期が終わっていないのかも知れません。それでも5時間なんてあっと言う間。バガンの入り口で外国人だけひとり2万チャットを払います。入域料とのこと。インレーでもお金を払ったっけ。

ワゴン車はバガンに到着しました。降りる前に、行き先のホテルごとに無料馬車に振り分けられて、フレンチ!お前たちはグリーンTシャツに着いて行け、ドイツ!君らはイエローTシャツ、ジャパニーズはこっちと、ガリガリで目力の強いおじさんが運転する、荷台に万年床みたいな布団が敷かれた馬車に乗せられてしまった瞬間から、ホテル?馬車で観光はいかが?と馬車の中でロックオンされたまま勧誘の嵐…馬の名前を尋ねると、名前は無いけど俺の電話番号は…と書きとめさせられます。適当なホテルの前で降ろしてもらって、部屋の値段を尋ねると70ドルとのこと、予算オーバーなので裏口から出たところを、絶対にこの日本人はこのホテルに泊まらないだろうと踏んで待機していたのでしょう、馬車の人に見つかって追いかけられます。次のホテルまで無料で送って行くから乗れ、乗れとそれはそれはしつこく、少ない車が渋滞するほど、どれだけ断ってもダメ、こちらも立ち止まってはっきりと断ったり、本当に勘弁してと謝ったり、道を変えて逃げてもなお、1キロほど追いかけてくるパカパカパカ、名もなき馬の蹄の音…こうなったら絶対に次のホテルの候補は知られたくない、道を数回変えて、TPが渾身の顔で「ノー!」と言うとやっと去ってくれました。この長いやりとりの末の後味の悪さも、ミャンマーならではのこと。

馬車を巻いていたつもりが、いつの間にか道に迷っていました。通りがかった地元の家族に道を尋ねます。娘ふたりとその父親が、あーでもない、こーでもないと議論してくれ、ガイドブックを何度も見て、家の中のお姉さんまで呼んできてくれ、ようやく結論が出て、次の角を左、2つ目を右と教わって歩きはじめます。赤い土の道をてくてく歩いていると、先ほどの父親が運転するバイクで娘ふたりが3人乗りでやってきました。お父さんがこのバイクで送って行くから乗ってとのこと。炎天下。ご親切に心から感謝しながらバイクに3人乗りさせて送ってもらいます。馬車男に追いかけられてくたびれていたので、砂漠の中のオアシスのよう。ホテルの前で降ろしてもらったときに、リュックをかきまわしてせめてものお礼としてタバコをひと箱お渡しして、せめてもの感謝の氣持ちを表します。恐縮するように受け取っていただきました。ご家族のみなさん本当に助かりましたと頭を下げて見送ります。

「ニューパークホテル」。宿泊料は30ドル。部屋はシンプルでベッドひとつ、サイドテーブルひとつ、鏡台ひとつ、衣紋掛けがひとつ、冷蔵庫がひとつ。装飾品は何も無いけれどとても清潔。部屋の中はヒンヤリとしています。フロントの男性もとても穏やかで優しそうなのでここに宿泊しましょう。今は停電だけど夕方には直りますとのこと。ジェネレーターで回っている天井のファンだけが命綱です。ひとまず、TPが行きたいと言うハンバーガー屋へ歩いて行ってみます。どうやら、バガンと言う街はヤンゴンのように都会でも無いし、チャイティーヨーのように山の中でも無いし、インレーのように特殊な感じでも無い、ただゆっくりと過ごすために、遺跡目的で作られた小さな観光街のよう、ラオスルアンパバーンをもっと雑にしたような感じらしい。街中の道路はほとんど舗装されていない、赤土のまんまです。西洋人でいっぱいのハンバーガー屋さんで、ハンバーガーとアボカドサラダを注文すると、1時間後にハンバーガーとトマトサラダが出てきました。ゆったりして大らかな街らしい。トマトが嫌いなTPもひと口食べておいしい!と目を輝かせています。ウェイターの人によるとトマトサラダはミャンマーの郷土料理だそう、まだ青々とした、シャクシャクとした歯ざわりの新鮮なサラダです。食べ終えて、ふっと疲れが出たので私は宿へ戻り、TPは好奇心が押さえ切れずに街中を下見と称して散歩することに。

宿に戻って、シャワーも浴びて、このところ何年間も夏になったら着ている無印のアッパッパーを着て、これまでも毎日行ってきた洗濯をします。手洗いでゴシゴシ。あー、いいお天氣で、宿の中庭には大きな木、その前にも緑が茂っていて、何ていいお天氣なんだろう。ビールを飲みながら部屋の前の椅子でくつろいでいます。こんなに素朴で素敵なところなら、マンダレーなんか行かないでここに2泊したかったな。そう叶わない望みを抱いたり。行ってみなければマンダレーがつまらないとすらわからなかったんだから、門、今を楽しもう、そう言い聞かせてゆったりと日記を書いてくつろぎます。やがて、ブーンと電氣の音がして、エアコンが作動し始めました。宿のご主人が、エレクトリックが戻った!と嬉しそうに宿中を伝えて周ってくれています。


たっぷり2時間も散歩して帰ってきたTPは、日焼けで顔が真っ赤になっています。ひとりで地元のお寺に行って、道端の子どもたちと遊んだりしたこと、途中で出会った牛のように大きい豚のことなど止まらない報告、写真など見せてくれます。良かった、楽しんでくれて。私はもうここがいっそのことわが家だったらいいのにと思います。たったひと部屋だけれど、必要なものは全部リュックの中に揃っていて。この部屋が好きすぎて、床を除菌シートで拭き掃除なんかしてしまう。わが家のように。

晩ごはんを食べに歩いて街を歩きます。街灯が少ないから、星が濃い。正座の周りの星もびっしりと見えています。その星のとりまきが白鳥とか爬虫類のようみ見えてドキッとします。だから、星座なんだな。目立つ星だけじゃなくてその周りのモヤモヤも含めてのシンボルなんだ。街灯がどれだけ少なくても、地元の人たちはスイスイと歩いては、あ、日本人だみたいな顔でチラッと見ています。おいしいと評判らしいレストランで、郷土料理のトマトサラダを注文してみます。昼とはまた違うけれど、やっぱりおいしい最高のサラダ!店の人に材料を尋ねると、トマト、玉ねぎ、ニンニク、ショウガ、豆、ナッツ、コリアンダー、親切に教えてくれます。ゴマドレッシングのようだけれどゴマは入れていないとのこと、ナッツを砕いて入れているそうです。

外を歩くと夜でも汗がまた吹き出すので、またシャワーを浴びて、日記を書きながらベッドでくつろいでいると、シャワーと浴び終わったTPが洗面所のタイルでスコーンとすっ転んで、マグロの競りのようにすべっていました。そうだそうだ、ミャンマーのタイルはすべりやすいと前から思っていたんだった。あわててバスタオルを持って駆け寄ります。いてー、いてーと重病人のようにうずくまる全裸のTP、目立った怪我は無いようで心底ホッとします。何とか持参の寝間着を着せてベッドに寝かせます。

それにしても。あんなに狭い洗面所ですっ転んで怪我が無いってある意味奇跡だな、全裸の人がつるっとすべって宙に浮いて回転して猫のように着地したのもすごい景色だったけれど、すぐ横のトイレで頭を打ち付けなくて済んで本当に良かった、バガンの神様に守られているのかも知れないな、などと寝転がってまた日記の続きを書いていると、プーンと音がして停電になってしまいました。漆黒の闇。目を開けても何も見えないので、宇宙に放り出されたような感覚。目を開けても閉じても同じだと、自分が起きているのか、生きているのか死んでいるのかもよくわからなくなる。明日も早起きして、バイクか自転車を借りて遺跡巡りをしましょう。そのためにも今は目を閉じて、ぐっすり眠りましょう。競りに出されたマグロも夜になったらいい夢を見ていますように。