再びヤンゴンへ


朝6時。目を覚まして少し日記を書いたりします。やっぱり鏡台があると机代わりになってとっても素敵だわ〜とうっとりします。今日も曇り空だけれど、バガン最終日なので楽しみたい!朝イチでニンニンちゃんのレストランでミャンマー国民食とガイドブックにあるモヒンガーという麺料理を食べます。夕べ、モヒンガーが有名だというのにほとんど食べられないと言うとニンニンちゃんが、うちでも出せるよ!とのことだったので。モヒンガーはミャンマーの朝ごはんだから、普通のレストランにはあまり置いていないそう。バガンは朝日目当ての観光客が多いから、朝5時に店を開けているそう。それでも、長時間労働の苦しみは感じられなくて、楽しんで働いているニンニンちゃんです。このレストランのモヒンガーはカレー味、まるでレンコンのようなシャクシャクとした歯ざわりのものがあったので何の野菜と尋ねるとビーン、豆とのこと。レンコンに似てるねと言って、とてもおいしいと伝えて微笑み合いました。

宿に戻るとまた停電。もう慣れたものです。さぁ、バガンの朝は始まったばかり。今日はどう過ごしましょう?街でゆっくり過ごすこともできるけれど、やっぱりあの遺跡をもう一度回って、目に焼き付けたい。そう言うとTPも同意してくれます。宿のおかみさんがこれからどうするの?と言うので電氣バイクを借りて街を走ろうと思うと言うと、うちにもあるわよ、とのこと。どうやらこのホテルでも免許不要の電氣バイクレンタルがあったそう。8000チャット払って、TPの肩につかまって出発です。僕らに自由を〜
 

 

また昨日と同じ景色、緑の低い森の中にポコポコと立っているレンガ色のお寺の景色を眺めていると、あたしはとってもバガンが好きなんだとよくわかります。昨日、道がぬかるんでいてたどりつけなかったお寺にも再挑戦。まだぬかるんでいるから他の道から尋ねて、拝みます。お寺の前の露店でお茶をして。500チャット。物売りの少年に何度断ってもガイドをされてしまってミャンマー土産という砂絵を何枚も見せられて。

道に迷って思いがけず、TPが本当は行きたかった寺というところにも行くことができて。レストランで食事をして、街まで戻ることに。ホテル近くの店でお茶をします。


星野知子似の女性がひとりで運営しているカフェで、陶器の壷を灰皿にしていたものがとても可愛かったものだから、これはミャンマーの陶器ですか?と尋ねると、えぇ、特産品です。バガンのお寺で買えますよ、8000チャットくらいで。どうしても私はその小さい壷を買ってみたい。じっとりと見つめていると、TPがもう1回、その寺に行ってみる?と言うので大きくうなずいて、もう一度遺跡群を目指します。僕らに自由を〜!


空港に行くためのタクシーの時間まであと1時間。片道20分の往復は、本当に自由を手にしたかのような自由な時間。教わった商店街で壷を手に入れることができて、また街の中心まで戻ります。宿に預けていた荷物を受け取って、空港へ。車で10分ほどの距離でした。


可愛らしい空港で、ヤンゴン行きのプロペラ機は乗客が少ないからか、席が決まっておらず、アテンダントさんが「あなたたちはそこら辺に座って、あなたたちはその辺」と指示されて適当な席に座ります。わずか1時間であっと言う間にヤンゴンです。インレー湖を中心に何日間もかけて回ってきたけれど、戻る時はあっと言う間なんだな。

今日はミャンマー最後の夜。考えに考えた末、話し合った末に、今日は空港近くのスーパーホテルに泊まろうという結論に至りました。初日に泊まった中心街までは片道1時間もかかる。それなら明日、日本に戻るのに空港に戻って来なくてはならないから、近い場所で泊まろう。空港内のタクシーは10,000チャットとふっかけて来るので、空港前の道で交渉すると4,000チャットとのこと。たった10分で到着です。

スーパーホテルでは、日本語が堪能なミャンマーの受付女性が、大変申し訳ありません、本日満員となっておりまして。あら?試しに空室がある場合の値段を尋ねると100ドル以上するとのこと。ヒィ〜、日本より高い!そこからてくてくと歩いて近くのホテルを探すも、どこも満室、もしくは130ドル、200ドル、250ドル!どんどん上がって行く!そして大勢の日本のビジネスマンたちが建ち並ぶレストランで、ホステスさんをはべらせている!あちらこちらのホテルでネクタイ姿のおじさんたちが大声ではしゃいでいる!

とっぷりと日は暮れて真っ暗闇。でっかい湖がライトアップされていて、ミャンマーの人たちはデートしたり、ピクニックしたり楽しそうに過ごしているけれど暗い!暗いから怖い!それでもあたしたちは今夜のホテルを探さねばならない。意地になって、車がビュンビュンとぶっ飛ばして恐ろしいような大通り、足元の悪い歩道を歩き続けます。光量の少ない街灯は数十メートルに1本だし、歩道は用水路の蓋が壊れたのか、がっぽりと空いた穴が何カ所もあるし。TPが穴に落ちるなよ!と声をかけてくれて、私もそこ段差!などと声を掛け合って、絶対に歩道からは降りないという覚悟で。車道はどの車も猛スピード、タクシーを停めるのも阻まれるような速さ。そんな道を1時間半ほど歩いてだんだん泣きたくなってきた頃、ドーンと嫌な音がして、TPの「あっ!」と言う叫びに近い声、急ブレーキの音、それから急発進の音、ふっと見ると大通りにスキンヘッドのおじいさんが、不思議な角度で曲がった身体を横たえていて、吹っ飛んだビーサン、財布らしきものが離れたところに散っています。上半身裸のおじいさんが身につけているロンジーはめくれ上がってお尻が見えています。今、目の前の大きい道路の真ん中で倒れている人に近づきたいけれど交通量が激し過ぎて足が動かない。誰かが電話!電話!と叫んでいます。

ただオロオロとするだけの旅行者たちは近くにいた大学生のような男の子に救いを求めるように目線を送ると、彼は元からそうするつもりだったという表情で、すーっと大通りの真ん中まで手を大きく上げて車を制しながらおじいさんに近づいて、おじいさんのロンジーを戻してお尻を隠して、両手を振って交通誘導を始めました。

TPは一瞬、おじいさんが浮いていたのを見たと言います。私はドーンの音を聞いただけ。交通量がこれだけ多い通りだから、歩いて渡ってはねられたんじゃない、きっとミャンマーのタクシー、ジープの荷台から落っこちたんだろう、そんなことを話して。


思えば、TPと海外への旅行を始めた最初の日、タイのチェンマイに到着したその夜、タクシーから、バイク事故で頭から大量に血を流して道路に倒れている女性を見ました。今日は片道3車線ほどの大きい通りで、不思議な角度に曲がったままピクリとも動かないおじいさんが目の前にいます。手を合わせて、何かに必死に祈ります。おじいさんはきっと携帯電話も持っていないでしょう、身分証明書もあるかどうかわからない。家族がいたなら、いつまでも戻って来ないおじいさんを、とても心配しているだろう、家族がいないならおじいさんはどうなるんだろう。10分ほど立ち尽くしたまま、旅行者たちは今晩の宿を見つけるために再び歩き続けます。しばらく歩いていると救急車がサイレンを響かせて通り過ぎていきました。


人通りの少ない道でタクシーを停めて、適当なホテルの名前を告げます。若い運転手さんは、スマホで調べながら、何度も誰かに電話で尋ねながら、信号待ちで隣りのタクシーに道を尋ねながら、4,000チャットで街の中心地、初日の金色寺院の近くのホテルまで連れて行ってくれましたが、閉店していた!ひとまずヤンゴン駅近くの大通りで降ろしてもらいます。若い運転手さんは、道がよくわからなくてご免なさいと恐縮している様子だけれど、少し距離が遠くなったので5,000チャット払うと、サンキューサンキューと喜んでくれました。彼のスマホの待ち受け画面は、生まれたばかりの赤ん坊の写真でした。

地球の歩き方を広げて、近くのホテルを訪ねます。60ドル。部屋を見せてもらうととても清潔なビジネスホテル。ここに、泊まりましょう。チェックインのためにパスポートを持って向かった受付には、ジャガー横田似のミニスカート女性が、不満いっぱいの表情で、お金をもらって夜を過ごす部屋へ入るための手続きを待っています。


ミャンマー最後の夜は、ネズミもいないし、カビも生えていないシャワーを浴びて、晩ごはんを食べに出る元氣も無いからお土産に買っていたミャンマー製ポテトチップスと、TPが買ったミャンマーのあんぱんをつまんで、ミャンマービールを飲みながら。TPは清潔なベッドに横になると、死体のように眠りこけてしまった。眠りそこねた私、部屋の電氣を消して窓を開けて眺めた景色は、初日のヤンゴンと同じ、ゴミだらけの、崩れかけた建物だらけの、夜中までエサを漁っているカラスの鳴き声が響く、生ゴミの臭いが充満した街。フランクフルトに連れてこられたハイジのように、バガンのことを思い返して眠りにつきました。