ゲーテ君との出会い

monna88882015-10-23

フランクフルトの安宿、エクセルシオール。71ユーロの部屋にはひと晩中、エレベーターのガッタンゴットン、外を走るトラムの音が鳴り響いていたっけ。晩ご飯も食べずに寝たものだから、朝の6時に目が覚めました。朝ごはんつきと言うので階下に降りると、そこはビュッフェ天国でした。味がおいしいわけじゃない、それでもカマンベール食べ放題、ハムやウィンナー、フルーツ、黒パン白パン、サラダ、味噌汁にシンガポール風焼きそば、何だかよくわからないおそうざいがギッシリ。西洋人の人たちはパンとハムだけを食べています。アジア系の人たちはお皿にてんこもりで夢中で食べています。カマンベールをこれでもかっというほど食べました。

今日も宿に荷物を預けて出発。歩きながら、はっ、フランクフルトってあのハイジのフランクフルトか!そうTPに大きな声で話しかけても、街の景色に目を奪われて心ここにあらず。てっぺんが雲に突き刺さりそうなビル群、石造りの建物、その中で肩を寄せ合うアラブ人たちの店や中華系の店、ビジネスマンたちのスーツ。若きウェルテルのゲーテさんが暮らしたというゲーテハウスへ。係の人たちの優しいこと。こそばゆくなるくらいの微笑みです。ゲーテさんはどんな家で育ったのかな?地球の歩き方でおすすめされていた音声ガイドを借りて上がって行くと、部屋が目的別に壁紙の色で分けてある、シンプルなのに華麗なお屋敷でした。

当時の流行とは違った、自分たちの好きな絵を描かせたり、集めたりしたという部屋。その先には本の部屋。私たちとずっと同じペースで部屋を回っていた中国系の男の子に、音声ガイドのタッチパネルをあえて見せるようにしていたところ、しばらくしてその男の子も音声ガイドを借りてきていました。ほっ、これでひと部屋ごとの説明が聞けますね。裕福な家庭だったとはいえ、その芸術的支柱の頑丈さに感銘を受けて、お土産に小さなゲーテ君を買いました。3ユーロちょっと。「小さな白い銅像をください」と言うと売店の女性がいくつかある中から選んで「この顔でいい?」と出してくれました。プラスチックだけどとても良く出来てるでしょう?ええ、色もいいですよね。でしょ?少しアンティークな色で。などと短いお喋りができるのが、生きている中でいちばん幸せ、みたいな氣分になります。


ゲーテハウスを出てゲーテ広場へ。3ユーロのゲーテ君で試し撮りをして見せるとTPが「あら?こんな銅像どこにある?」とキョロキョロしたのでイヒヒと思います。

地元の老舗、ヴァッカーズカフェという立ち飲み喫茶処でコーヒーを注文、お金をどこで払っているかさっぱりわからなかったので、どこで払うの?と聞くと順番待ちの人たちがみんなで「ここだよ」と指差して教えてくれます。コーヒーのは深入りで味の奥の奥まで、どこまでも深く何かが呼びかけています。散策コースはTPにおまかせしていますが、どうやらTPは必ず「広場」へ行きたがるので、TPって広場好きやったんやね、などとお喋りしながらレーマー広場へ。ドイツに来てよかったわ、ヨーロッパコンプレックスが払拭された、ありがとう、そう言います。


南京錠だらけの橋を渡って、大聖堂を通って市場を通って歩行者天国で賑わう大通りへ。H&Mだらけ。おそうざい屋さんで買った煮豚や豚皮で腹ごなしをして、ホテルで荷物を受け取って駅へ向かいます。フランクフルトは景色もよくて氣候もよくて、素敵な街だったな。後ろ髪を引かれて次はベルリンを目指します。

すっかり慣れた券売機で買ったチケットを手に、4時間も乗る高速電車。だんだんと日が暮れて、街灯すらない土地を抜けて、工場地帯、一面の畑、そして再び都市へ。何層にもなった複雑な駅舎を出ると、木枯らしが吹き抜けています。再開発地域なのか、周りには建物があまりない、すっからかんの土地、一件目のホテルが100ユーロだったので駅中の有料インフォメーションで3ユーロ払って、一番近くて安い宿を予約します。小さな商店では駅前で小銭を集めていたホームレス風の男性が、友達と楽しそうにビールを飲んでいます。


キリスト教系だという宿は、宿泊者じゃない人たちもロビーの売店でお喋りしに集まったり、お酒を飲みにきたり、煙草を吸ったりしています。それなのに、排他的な壁、圧力を感じるのはどうして?明るい色と室内。窓を大きく開けて煙草を吸っていると、暗闇から見回りの人がきてじっとりと睨まれました。恐ろしい、ここは禁煙だった。震えるようにサナトリウムみたいな部屋で、病室のようなベッドに潜り込んで、ポケットからゲーテ君を取り出して枕元に置いて、目をギュッと閉じました。ベルリン、何だか怖い。