ガラリと変わる

夕べは父の介護用ベッドで寝てみました。寝心地を確かめたくて。なかなか快適。夜中に父は2回トイレに起きたそう。足元がヨタヨタしているので2階から降りて来るのは心配、でも本人の強い希望。自分の部屋で寝たい、そこは元私の部屋。朝6時、母が山ほど作っていたおでんと、きんぴらゴボウを食べます。でもまだまだある。父も自室から降りてきて介護用ベッドでカステラ2切れ。

 

すぐにベッドに横になった父は「はーあ、こんなになると思わんやったなー」と、悔しいような諦めたような声。私の今日の使命は、PCR検査(介護士さんたちと接するときに、受診が必須だそう)と、WiFiゲット。どちらにしても我が家にはWiFiが無いので、ひとまずスタバへ。「行ってきまーす」と言うと、「はーい」と父の声。スタバで、少しだけ仕事をして(今日は仕事が手に付かないだろうと有給休暇をもらっていた)、無料PCR検査の予約(今日までが無料だった、帰省したひとを対象に空港で)、WiFiのレンタル先を調べます。

 

家に戻ると、母から風呂場のスダレを交換してくれと頼まれます。そう、昨日の夜風呂に入ったら、開けっ放しの窓からボロボロのスダレ越しにお向かいに新しく建った家の2階が丸見えで、中腰でシャワーを浴びたっけ。我が家は常にどの窓も全開の家なので。「ついでに、裏のゲジゲジした草もこれでチョンチョン摘んどって」と渡された剪定用ハサミ。よくわからない、ゲジゲジした草は胸まであるほどの高さ、しかも固くて、ゲジゲジした実が洋服にくっつく!汗だくで与えられた任務を遂行します。母は家の中から「お姉ちゃーん、もういいよ、もう空港行かな」とか声を出すだけ。

 

再び、七隈線に乗って、天神で乗り換えて空港へ。持参したノートパソコンのEチケットで帰省したことを証明して、身分証を出して、検査。

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壁に、レモンと梅干しの写真が貼ってあるから助かる。

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唾液を1.5センチくらい、出し続けて、提出します。地下鉄に乗って博多駅まで。WiFiを1ヶ月レンタルします(1万円)。1ヶ月持つといいな、途中で返却するだろうなとか思いながら。

 

また地下鉄に乗って帰って。これまで母は、帰省したときに私や弟を地下鉄やバスに乗せることはありませんでした。必ず送り迎えしてくれていたのに。それがもう、地下鉄で行ったら?と言うということは、母はもう年寄りになったんだなということ。

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家に戻ると、母と父が育てているメダカが出迎えてくれて(これは一部、、、狭い庭のあちこちにメダカの鉢が置いてあって、玄関にも、、、)

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母が日頃から電話で言っていた「町内会の役員やけん」の言葉どおり、何だかよくわからない役員の札があって。

 

「ただいまー」と帰ると、父はベッドで寝ています。PCRで梅干しの写真見ながら唾液出したなどと母と話して笑っていると、寝ているはずの父がニコッとしています。寝てるフリで聞いてたのかな。私がウエストのうどんを食べたいと言ったからか、昼食はウエストのうどんをお持ち帰りして準備してくれていました。肉うどんと、丸天。2人前を3人で分けます。母は、自分は大きい丼で一人前、父と私のうどんは小丼で同じ量にしているので「お父さんの、こんなに量あったら食べる氣失せるやん」と私の丼に移して減らしていると「俺の氣持ちをよくわかってくれとうな。いっつも多過ぎるっちゃん」食欲のあるひとにはわからないだろうけど、食欲無い派からすると多すぎる食べ物はウッとなるのです。父は少ないうどんをちゃんと食べてくれます。

 

昼過ぎ、父が顧問をしているという会社の社長と社員の方が2人で来てくれました。「ようこそお越しくださいました、こんなところまで」と挨拶、父が「娘」と言うと社長が「よかったー、またヨカ女つかまえたかと思った」などとおべんちゃらを言ってくれます。が、同時に父の女好きはどこまでも伝わっているんだと恥ずかしくなります。やれやれ。

 

顧問と言っても、ボランティアのようなものですが、赤字だらけで潰れかけていた会社を立て直したらしく、お二人はとても感謝してくれています。誇らしげでたまらない表情の父、部屋を出ても笑い声がいつまでも響いています。

 

その後で、銀行の方がいらっしゃいます。父の預金や株、貸金庫をすべて母名義にする作業。担当の方も、寝たきりの父を相手に懸命に仕事なさっているので胸打たれます。父が株をやっていたのは知らんかった。損しているようです。

 

皆さんをお見送りした後で、父は急にくたびれたのかベッドに横になって寝ています。すぐ後ろで心配した親戚からの電話を取った母が葬式の話しをしているので、父にこっそり「デリカシー無さすぎやね」と言うと「いっつもあんなよ」と笑っています。それでも、どんどん苦しそうになってきたので、処方されている眠り薬を飲ませます。うつらうつらするだけで熟睡できないよう、身体の向きを頻繁に変えています。

 

夕方、目を覚ました父が「お前にうまいもん食べさせてやりたかったなあ。アラカブの刺身は?うまいぞ」と言われて母とイオンへ。私が帰省前に、いつもの3枚の赤パンを持って帰ったら母から馬鹿にされると慌てて買ったユニクロのパンツ3枚は、どうにも歩いているとズルズル下がってきて困っていると言うと、母はイオンのパンツがいいよとオススメしてくるのでそれも買います。(いえ、買ってもらいます。帰省すると母は私に絶対に財布を開かせません。どんだけ貧乏と思われているんだろう)

 

家に帰って、父は日本酒を4センチ、私は缶ビールをたくさん飲みながら夕食。イオンで買ってきた寿司一貫と、白和え、アラカブの刺身を1枚食べてくれました。私は母が大量に作ったおでんも、きんぴらゴボウもアラカブ刺身も食べてみせるけれど食欲はゼロ。全部ひと口ずつしか入りません。それでも、夜の薬を飲んで、水分もちゃんと取ってくれて今日も二階の寝床へ。昨日、弟が「もっとお父さんと話ししとったらよかったなーって言いよったよ」と言うと「ケッ、電話もしてこんくせに」と言っていたので弟に電話してあげてと伝えていたところ、電話がかかってきました。父大喜び。私は父の部屋を出ます。

弟から電話があった後、一階に電話があって、弟から電話があった!と呼び出されたので、父の部屋に行きます。どうやった?と聞くと、大した話しはせんけど、とうれしそう。そのままベッドサイドで、「お父さんが手術できんやったとき、身をそがれるほど悲しかったのは、お父さんがカッターナイフの使い方から線の引き方、のこぎり、墨の擦り方、包丁の研ぎ方、ボクシング、自転車、腕立て伏せや穴の掘り方、全部教えてくれたけん、私がお父さんに教わったことでほとんど出来とうけん辛かった」と言うと「そうや?ほとんど覚えてない」とのこと。「じゃあ、また明日会おう!」と言うと「おう、また明日」「お休み」「おやすみ」

 

私は一階の昼寝布団に横になります。弟に「父大喜び」とメールすると、すぐ返事があって「良かった。そんなに喜んでくれるんやね。そうは思ってなかったから、教えてくれてありがとう。なるべく電話するようにする」とのこと。私と父はものすごくお喋りするので弟と父の関係性には目をつけてなかった!弟はそんなに父と会話していなかったのか?と驚きながら眠ります。


夜中、ドーンという音がして目を覚ますと、父が二階から降りてきて、トイレに入っています。大丈夫?と外から尋ねると、どうやらトイレが間に合わず汚してしまったからと母を呼んできてと言われて母を起こしに。母はパッと起きて紙パンツを替えてやったりしています。

 

もう今日は、一階で寝たら?と言うと素直に介護用ベッドに横になっています。「はぁ、はぁ、こんななるとは思ってなかった。辛い、辛い」と苦しみ始めました。息も荒くなって、もう身体を捨てたいと言っています。身体をさすると、私の手をギューッと握って目をカッと開いて何かを訴えかけようとしてくれます。落ち着くと、口をぽっかりと開けたりして、寝たきりの老人の風情。母が熱を計ると39度。母が熱冷ましの座薬を入れて、ケアマネセンターに電話。2時間後に熱が下がらなかったら、座薬をもう一度入れてくださいと言われています。母も私も眠れず、2時間後に座薬を入れてもなかなか熱が下がらないものだから、ケアマネさんに電話、朝の4時に来てくれました。ひと目見るなり、すみません、もうちょっと早く来たら良かったですね、と脈をとったり心臓の音を聞いたりして、在宅医療の先生にも電話して指示を受けて、熱を下げる筋肉注射を打つことに。夜中に来ていただいたことに感謝しながら、朝まで看病します。明け方ようやく、熱が下がり始めていびきが聞こえてきたので私は2階の父のベッドで仮眠を取ります。

 

PCR検査結果は、陰性とメールが届いていました。