まだ小学一年生であたしが山猿だったころ。弟と習字の教室に通わされていました。寒くて退屈で嫌でたまりませんでした。お爺さん先生が指でギューッとなぞった跡を筆で清書させられて、いつの間にか応募させられていた習字が田舎ならではの、出せば誰でも受賞するような賞をもらって、わざわざ街まで出かけて授賞式に出た帰り、母親が私と弟に一冊ずつ本を買ってくれたのが本当に嬉しかったっけ。私は寺村さんの王様シリーズ、弟は歯が抜けたキリンの話し。一度ゴミ袋に入れていた習字を、今日になってもう一度取り出して、取っておいても仕方ないけれど捨てるのも何だか淋しいしどうしようかなと思っています。
私が子どもの頃、まだ父だが20代だった頃から父は、生まれてこの方、小学生の頃の絵でも卒業証書でも、賞状でももらった歌手のサインでも、何でもかんでも捨ててきたことを自慢していました。子どもにそんなことを言っても大して聞いてはいないだろうと思ったのでしょうか。何年も何年も、同じ話しを聞かされると過去との決別のような意識が身に付いてそれもまたズッシリと重たいのですが、母は全く違う性格だから可哀想。あおりをくらって、母は押し入れに隠していたマンガを捨てられて一日中泣いていたっけ。毎年の大掃除と言えば、口の中が苦くなうような胸が苦しくなるような感覚。たかが小学校一年生のときの習字だって捨てるのが難しいのだから、母がマンガを捨てられて泣いている氣持ちも、よーくわかります。