生活の手触り

いい奥さんは旦那さんを駅まで見送りに。つい最近、商店街の街路樹が植え替えられました。最初はまだ私の背丈よりも低い、何とも頼りないひょろひょろとした苗木だったけれど、数週間経ってみると背丈を越えそうな成長にグッときます。それにしてもいかにも「街路樹」っぽくなるまで何年かかるんだろう?どうしてこんなにひょろひょろのヒヨッコを植えたんでしょう?不思議でなりません。

見えない私の生活術

見えない私の生活術

見えない私の生活術。図書館へ行って、サーッと背表紙を眺めながら歩いているとピカッと光っていた本は、私がどうしても知りたくて秘かに研究を重ねている感覚、そのタイトルに、これが知りたかったんだ!と借りてきた本。知りたかった生活の術は少ないよう、それよりも著者の人となりが見える本。初めて知ったことは、世の中には目の見えない女性を狙った痴漢の常習犯がいるということ。その卑劣さに憤ります。突然、見知らぬ人から身体を触られたら、どれだけ心が真っ暗になることだろう。スーパーマーケットで、ブロッコリーを買うだけでもドラマがある、空間を把握する距離感も言葉で探求してある。見えないからこその手や耳や、交差点の空氣の抜け方の感覚を描いてくれています。文庫にして欲しい本です。

晩ごはんは鍋。明後日の夜には、シンガポールへ行く飛行機に乗るけれど、やり終えていないことや、やり遂げていないこと、録画機の予約、旅行中に読む本、破れた靴下、旅行で履くサンダル、飛行場までの行き帰りの服装、氣温、お休み中のおしごと、冷蔵庫を空にすること、あれやこれや、ごった煮になって、テレビをオフタイマーにして見るともなくただ流して、毛布にくるまって畳の上で薄目を開けて、寝たくないような、すぐにでも寝たいような感じです。