心の負担

昨日もまた、福岡の両親から食料やら何やら届きました。私はとてもそのことに戸惑っています。送られすぎ。お礼の電話をすれば良いだけなのに、電話をすると彼らの話しが長くなることが負担で、電話もかけられません。メールでお礼を出すとすぐに電話がかかってきたので、逃げるように外に出ます。耳をふさいで。両親の声を聞きたい瞬間はこれまで何度もあったし、何度も助けられてきたけれど、弟一家が東北に転勤になってから、電話の頻度、小包の頻度、毎回聞かされるそれぞれの愚痴、電話に費やされる時間が、耐えられなくなっているのです。



なので、近所の神社へ。よく、自分の心を覗いてみたくて。親不孝な感情は自分でもよくわかっている、でも愚痴は聞きたくない、そうだ、これまで彼らの愚痴を聞きすぎたことが良くなかったんだ、もう聞きたくないとちゃんと伝えるべきだったんだ、両親にとってはいつものことかも知れないけど、私にとっては大きな負担だったんだ、生まれてからずっと今まで。そのことがわかっただけでもうれしい。この年令になってようやく氣づいたことは、これから負担を減らすように少しずつ進めて行けばいいんだ!今氣づいて良かったんだ!わーい!


もうひとつの負担、アパートの廊下に、ゴミをポイ捨てされること。我が家以外の住人は奥の部屋に何人で住んでいるかわからないアジアのひとたちなので、階下のひとたちから集まる苦情に対しては彼らの味方をしたり、応援してきたけれど、やっぱり心の負担が大きくなったので、何とかせねばなどと思います。

きっと、三峯神社に行って、キリッとした空氣を吸ったから、色んな負担を手放して行こうと決意ができたのかも知れない。できることは全部やる。謙虚に、コツコツと。