ウォッカを一瓶

朝、起きて持参の目覚まし時計を見ると、6時でした。カーテンを開けると空が白み始めています。寝ているTPに小さい声で「散歩してくる」と言うと「俺も行く」と起きてくれました。ヒヴァの町を朝散歩です。ヒヴァ、地元ではイチャン・カラと呼んでいると歩き方には書いてあります。ぽつぽつとすれ違うひとに、サロームと挨拶。サロームと返ってきます。

ほら、出てきてヨカッタ、空が赤くなってきました。城壁内をひと巡りしていると城壁に上がって写真を撮っている青年がいました。チューヤン似、大きな一眼レフだからプロかな?しばらく進むと小ぶりの一眼レフを持った大杉漣似のおじさんがまた城壁の上で写真を撮っています。おや?

またしばらく進むと、今度は日本人夫婦とガイドさんらしき3人連れが。ウルゲンチの空港で見たひとたちだ、上がれるのか?しばらく進むと、壁からスロープ状の階段が地面まであります。駆け出して壁に上ってみます。

走って上がった城壁からは、城壁の中の町が一望できます。城壁の外はどこまでも平原で木々に隠れて住宅街などは見えません。城壁内はホテルが多い様子。普通に暮らしている家もたくさんあります。

城壁に上がる階段は、四角い石、さいの目に切ったお豆腐を思い出して突然お豆腐を食べたくてたまらなくなります。

宿に戻ると、朝ごはんができていました。各テーブルにはずらりと並ぶ皿、スイカ、ウリ、お菓子、ピーナッツ、ナン。ムラットさんがワンミニットで玉子とバターを出しますとのこと、ウィンナーつきでうれしい。後から宿泊者たちが続々と食堂に集まってきます。陰氣なヨーロッパ人風のおじさん、陰氣なアメリカ人風のおじさん、陽氣なオーストラリア人風の男女混合中年団体、シャイそうなスウェーデン人風の30代カップル。陽氣なオーストラリア人風の団体から許可なく相席されてしまった陰氣なアメリカ人風のおじさんは、すぐに席を立って食堂を出て行ってしまいました。インスタントのコーヒーと、ポットで飲むコクチャイをたっぷり飲んで、ウズベキスタンのお菓子も少しずつ食べて、軽く二度寝してチェックアウトです。もう太陽はほぼ真上まで上がっています。受付で滞在証明書(レギストラーツィア)をくださいと言うと、まだこの辺を散歩するなら後からでいい?午後13時とか。ファーザーがいないと書けないからとのこと。やっぱり、ちゃんと言わないともらえないんだ、もらわないと帰りに捕まるんだと恐ろしくなります。受付で2リットルの水、2,000スム。

リュックを背負って歩き始めると、シャシリク屋さんがありました。あれこれ勧めてくれるのを全部断りつつ、1本だけ買って食べます。生玉ねぎが乗って、唐辛子などスパイスを漬けたウォッカみたいなものを振って食べるよう。おいしい。5,000スム。店のおばさんが窯を覗け、覗いて写真を撮れとジェスチャーで何度も言うので写真を撮ってみます。

サモサかな?

西門で旅行者用の共通入場券ひとり100,000スム。約1,500円。高額です。早速、イチャン・カラ巡りです。

まずは老舗ホテルのお庭を見せてもらいます。漆喰の壁とレンガの椅子、将来はこんなスペースがある家に住むんだと子どもの頃は思っていたっけ。現実は築年数不明の古いアパート、人生って面白いもんだな。

10万スムも払ったのに、別料金の塔もあります。ひとり10,000スム払って上がります。ヒヴァの街は、平地なことと建物の壁が高いことから、歩いているとあちらこちらから塔が見えたり隠れたりするのが不思議。13時になったので宿に戻ります。受付のブザーを押すと、宿の前に掘られた穴からお父さんが出てきて滞在証明書をくれました。

午後は、TPが行きたいと言う柱だらけの部屋に。柱の裾の方がキュウリのヘタのようにすぼまっているのがウズベキスタンスタイルなのかしら。心地良い温度。上に上がる階段があったので試しに上がってみると、薄暗い円形の空間、螺旋状でどこまでも続いています。一体どこへ出るのやらさっぱりわからないまま、頭をぶつけそうなのでほぼ四つん這いになりながら上がるとようやく、てっぺんに到着しました。後ろから「おーい門ちゃん、登れる?」と聞こえています。いけね、TPを置いて登り始めちゃったらしい。やがてTPも上がってきて、また絶景を堪能します。

足ガクガクで今度はお尻をつきながら降りて外から眺めると、とても上がったとは思えないほどの高い塔でした。

よく上がったな。昼ごはんは城壁の外に出て、チャイハナが並ぶ通りへ。

レストランのおじさんが写真を撮っていいと言うのでパチリ。

ペリメニスープ16,000スム、サモサ(かぼちゃ入り)16,000スム、コクチャイ7,000スム。

シャシリク26,000スム。どれもおいしいったらない、ロシア語で「フクースナ」おいしいと言うと店のおじさんは片手を胸に当ててありがとうみたいなポーズ。やがて地元の労働者風のおじさんたちがじゃんじゃん入ってきました。店主とは10年ぶりの再会かと思うほどの固い握手、肩をぶつけあっていますがどう見ても近所のひとたち。誰もがナンに唐辛子入りのウォッカをじゃんじゃん振って食べています。

シャシリクは店の前でおじさんが炭火で焼いていました。

レストランの柱だって、先すぼまりのウズベキスタンスタイル。街をよく見るとこのウズベキスタンスタイルの柱がよく見られます。ひとつ勉強になった。この辺りにひとつだけのスーパーマーケット、電氣が消えているのでお休みかと思ったら、真っ暗な店内からチーズとナンを買って出てくるおじさんがいたので、店に入ってみると電氣を消して営業していました。教訓:ウズベキスタンでは閉まっているかなと思っても開店していることがある。おやつに量り売りのチーズを買ってみます。

4,700スム。早速齧ってみると、カッテージチーズをギュッと固めたようなものでした。さけるチーズにそっくりの味。5,000スム出しておつりの300スムは200スム札一枚と飴玉で戻ってきました。

ウルゲンチの町に戻る前に、ヒヴァ(イチャン・カラ)をもうひと回り。白髪を後ろでチョコンと結んで、デニムの上下、ひとりで身軽に歩いていらっしゃる素敵な女性が地球の歩き方を持っていらしたので、日本の方ですか?と声をかけると、はい、ウズベキスタンは初めて来たのと少しお喋り。インドで英語を教えて暮らしているそう。暇があれば日本に戻ったり海外旅行に出ているようで、地球の歩き方も横浜図書館で借りたものでした。すてきな先輩女性と会話ができてしあわせです。北門で町までのシェアタクシーに乗れるとムラットさんが言っていたのに、そこには普通のタクシーしかありません。通りすがりのワゴンタイプの車に「バザール?」と尋ねても首を横に振るばかり、誰に聞いてもウルゲンチに戻るにはタクシーだと言うので、タクシーに交渉します。2人で10ドルと言うので得意の「ディーセッチ」(10,000スム)、しかもウルゲンチ駅からバザール経由でヒヴァまで来たけれど近かったから、直接駅までと言ってみると、渋々OKが出て乗り込みます。すぐに見知らぬ男性2人と子どもがギューっと乗り込んできて出発、どうやらセダンタイプのタクシーも本当にシェアして町に戻る仕組みらしい。30代くらいの男性が話しかけてくれました。ナイルさんは、ヒヴァでロシア人に英語を教える学校を立ち上げたらしい、前席のおじさんがボス、膝の上の子どもはアレキサンドラと言って小学一年生。フキーシマのアトム大丈夫?と聞いてくれます。福島の原発のことか。今は落ち着いているけれどまだ心配と答えたり、子どもは?と聞かれていないと答えたり、私も綿花を摘んでいるひとが多いですねとか、綿花だけじゃなくてとうもろこしも有名だよとか、ナイルさんの奥さんは不動産を7つ持ってるとかそういう会話。この国に来て私の英語が上達したのかな?と錯覚しそうになりますが、そうではなくてウズベキスタンのひとたちがつたない英語でもわかろうとしてくれること、私もわからないことはちゃんと聞き返そうとしていることで会話が成り立つようです。CDを買いたいと言うと、ラジギー、国民的歌手だと教えてくれます。今日、寝台車に乗ってサマルカンドという町へ行く予定だから向かってもらったウルゲンチ駅に到着したので、手を振って分かれます。RCにもらった、お守りがわりにリュックにつけていた小さい万華鏡を、アレキサンドラにプレゼントしてみました。初めは何だろう?と覗いて、すぐにニッコリ笑顔になって、お父さんに促されて小さい声で「ラフマッ」と言ってくれます。RCには帰ってから謝ろう、でもウズベキスタンの子どもに何か日本のものを渡すことができて喜んでくれるかも知れない。

寝台列車の時間まで、町を歩きます。子どもがよく買っている、この小さい柿みたいな果物は何だろう?

ウルゲンチの団地。

ウルゲンチ駅前の夕焼け。私は寝台車で眠れなくなることを恐れて、その辺の商店のひとに教えてもらった店で酒を買います。22,000スム。ビールは無くてウォッカ(ウォトカと言っていた)だけしかありませんでした。そのウォッカが、まさかあんな影響を及ぼそうとは、その時は思いもよらず。

日本人スルーのパスポート検査を受けて駅に入り、日本人スルーのX線で荷物検査を受けてから乗車。4人部屋のコンパートメントには、ウズベキスタンの若い夫婦と小さい子どもが先に乗っていました。挨拶するとギョッとしたような顔。若い頃の渡辺謙似のお父さんはすぐにコンパートメントから出ていってしまいます。薄ら笑いで日本人の夫婦(私とTP)、同じく困ったように微笑んでいる比企理恵似の若いお母さんと、その影に隠れてしまった子ども。TPは白々しいほどの声で「トイレ探して来よう」と言って出ていってしまいました。狭い部屋での沈黙に耐えかねていると、お母さん(ザイズィーラさん)が、マスカットをひと房まるごと、ジェスチャーでどうぞ食べてとくれました。お礼に、ノートを千切って折り紙にして、ピアノを折って子ども(アルマン君)に渡してみます。折り紙ピアノを思いの外喜んでくれて、転がってはしゃいでいます。TPが「トイレかと思ったら駅長室で、あっち行けって怒鳴られた」と言いながら戻ってきました。やがてお父さんのイェルボンも戻ってきて。アルマンがまだ小さいので、我々日本人夫婦は二段ベッドの上のふたつを使うと身振り手振りで伝えて、上がり方を尋ねるとドアノブに足を引っ掛けてよじ登ると身振り手振りで教えてもらって、スーッと列車は出発しました。

寝転がってみると、振動が心地よくてこれならウォッカ無しでも眠れそう。食堂車(ヴァゴーンリスタラーン)があったので夕食でもとベッドを降りると、イェルボンがスマホのアプリで「お茶のみましょう」と聞かせてくれます。TPがまずは湯呑でいっぱい。「あっ、酒」えっ?そうなの?と私も降りて、宴会が開始しました。ザイズィーラさんが売り子から買ったばかりと思われる熱々の揚げパン(ピロシキと呼ぶそう)を分けてくれます。そして、まるごと一本のハムをナイフで切り分けてくれます。私も実は買っていたんだとウォッカを出すと、無口だったイェルボンさんが喜んでくれ、すぐに開けてみんなで飲み始めます(ザイズィーラさんとアルマン君以外の3人で)。

そこから、ノートに絵を描いたり、ロシア語の会話帳で指差し会話をしたり、何とかそれぞれの職業やら、家族構成やらを伝え合います。子どもがいないと言うとめっちゃ驚いています。この夫婦、23と26歳だって。私は生まれて初めて、年齢のサバを読もうかと思いながら、正直に言ってめっちゃ驚かれます。若く見えるという驚きじゃなくて、その年令でリュックで旅行?というような驚きのように感じます。

イェルボンはどうやらトラムの運転手らしい。運転手の証明書なのか、免許証なのか手帳を出して見せてくれます。ブブーブブー、ポッポーと夫婦で警笛のマネをしてキャッキャと笑っているのでこちらも大笑い。TPは酒が強いと思われたのかウォッカを注がれては飲み、注がれては飲んでいます。イェルボン一家はタジキスタン出身で、今はウルゲンチに住んでいるそう。タジキスタンの親戚の写真もたくさん見せてくれます。

ザイズィーラさんがコクチャイをポットごと持っているので、それは家から荷物に入れて持ってきたのかと絵で尋ねると、大笑いして「バゴーン」と教えてくれます。食堂車で頼むらしい。教訓:ウズベキスタン寝台列車では、ハムをまるごと一本持ち込んで、バゴーンでコクチャイを頼んで、売り子からピロシキを買って夕食にすること、そしてこっそりとウォッカも一瓶。大いに盛り上がって、何故あんなに笑ったのかと思うほど笑って、晩ごはんまでご馳走になって、みんなで写真を撮り合って、夜は更けて行きます。

アルマンがあくびをし始めたし、ザイズィーラもアルマンを寝かせたそうにしていたので、そろそろ眠りましょうと上の段によじ登って横になっていると、トイレを済ませたTPは、またイェルボンに捕まって酒を勧められているよう。何か・・・濃いな、ウズベキスタン。ロシア語の会話帳と絵を描くノートがあれば、だいたいのことは通じるな。朝、宿でシャンプーしてきたから今日はお風呂無しでも我慢できそう、パジャマじゃなくて着ていた服のまま寝転がって。列車の揺れは思った通り、心地よいゆりかごのように、ぐっすりと夢の世界に連れて行ってくれました。

夜中、もう何時かわからない頃、月明かりにTPがリュックを開け閉めしている背中が見えました。ちょっと触ってみると「あ、ごめん。起こしちゃった?あれからさ、何杯もウォッカ飲みすぎて、電車の揺れもあってすっごいお腹こわして大変やった。だけん今、ノーパン」まじか・・・可哀想に。私もトイレに行きたいような氣がするけれど下の家族に遠慮して降りづらいのに、TPはトイレに駆け込んでいただなんて、大変だったんだな・・・ノーパン?目をぎゅっと閉じて、もう一度眠ります。ノーパン・・・?