朝、TPと散歩。今日は橋を渡ってそのまま木の葉モールへ、大通りまで歩いて右折して、セブンイレブンでコーヒーとサンドイッチを買って橋を渡って、川沿いのベンチで朝ごはん。雨がポツポツと降ってきました。父の看病で帰省してから、初めての雨。
おーい、飯盛山〜。川で、メダカを網で獲っている父娘を見ます。私も中学の理科の授業で先生が、来週はミミズを獲ってくるようにと言われて、当時としては珍しく父に相談して室見川にミミズを捕りに来たことがあります。なかなか見つからなかったけれど、土手を掘ったら次から次へとミミズが出てきて、容器に入れて持って行ったらクラスの中でミミズを持って来たのは私ひとりでした。他の班のひとにもミミズを分けて。卒業式のときに理科の先生が「◯◯(私)だけが、ミミズを持って来たよな」と言ってくれて、なぜか誇らしかったっけ。その土手のすぐ前のベンチで、のんきで楽しい夫婦となって、朝ごはん。
家に戻るとTPは昼寝。弟夫婦も建築中の自宅を見に行って。母「でもおかしいと思わん?毎月、バラバラの金額を同じひとに振り込むって」とまた謎の通帳を手にしています。「バーのママじゃないよ、バーに払うお金は全部会社のお金で払っとったから」と言うので「やっぱり氣づいちゃった?深堀りせんがいいよ」と言っても納得行っていない様子。だからー、子どもの頃から何度も、離婚しい、離婚して貧乏になっても節約して楽しく暮らして行こうって言って来たやないの、とは言いません。母は案外、自分の経済力だけで貧乏生活を送って行くのは耐えられないタイプだと薄々氣が付き初めています。
明日、私も東京に戻ります。「有給もらって、あと少し残ろうか?」と母に聞いても「わからん」とか「いい!」とか言っています。先日、母と伯母が会話しているのをうっかり聞いてしまいました。私が昼寝していると思っていたらしい。母「◯◯(私)が、東京で一緒に暮らそうって言ってくれたけど。◯◯(弟たち)も来年帰ってくるし、あいつ(私)、うるさいじゃん」何だって!?と起き上がり「寝てないよ」と言うと、ごめんごめんと大笑い。母が帰れと言うのなら帰ろうじゃないの。
東京に戻るTPを見送りがてら、近所のバス停まで。大雨。バスはなかなか来ない、30分ほど土砂降りの中、バスを待ってようやく乗り込みます。最初にTPと行こうと思っていたスパゲティの店「英(はな)」は、9組も待っていたのであきらめて、ステーキの「うえすたん」へ。徒歩10分ほど?小田部の方まで歩きます。昨日の大分への帰省の話しもさらに聞きます。
な、つ、か、しい〜
建物の場所が変わっているよう、でも雰囲氣は同じで。
これこれ!このサイコロステーキをTPにも食べてもらいたかったと!柔らかくて、美味しい!TPも大喜び。「また来よう」とか言って。「お父さんが旅行したときの写真、何枚か送っちゃれやって言っとったのに、送ってないのが後悔」とTPが言うので、胸がえぐられるような思い。そう、いつも旅行から帰ったら、写真送っちゃれやって言ってくれていたのに!!!!バカ、私のバカ。でもお父さん、どうかこのごめんなさいの氣持ちとこれからの旅行は見守っていてちょうだいね、これからもいっぱい旅行するけんさ。バス停で、東京に戻るTPを見送って。「また明日!」
私もバスに乗って、家まで戻ります。大雨に濡れながら、大声で歌いながら自転車で帰る高校生たち。胸がじーんとします。いけない!美香ちゃんとまだ会っていなかった、慌ててメールして、仕事終わりに会えることに。心配してくれていたのにごめん!
午後はまた香典返しリストの作成。あれから葬儀屋さんも何度か来て、香典返しのリストをいただいた金額順に手書きで書くように言われているけれど、ちょっと抵抗があって、まずはリスト化。
日が暮れて、甥っ子が「ウエストがいい!」と、またしてもウエスト!?とみんなうんざりしていますが、「じゃ、私と二人でウエスト行く?他のひとは、こまどりうどんに行くって」と言うと、ちょっと怖めの伯母さんと二人でうどんを食べに行くのはどうしようかと悩んでいるらしく、しばらくして、うんと頷いたものの「やっぱりママがいい!」とのこと。王様かよ。
弟妻も氣を使ってくれていると思います。甥っ子とふたりでウエストへ。オリジナル家族の、母と私と弟の3人は、こまどりうどんへ。「思い出したら、お父さん前から癌を何箇所もやっとったよね」「食道から喉頭がん、膀胱がん、喉から腸まで全部やん」「そう。見立てが甘かったわ」「まだ大丈夫やろうって」「お父さんとの思い出、食べ物の思い出ばっかりやね」「むしろ食べ物の思い出しかない」
しんみり。取り立てて趣味のなかった父、家族に優しい言葉をかけられなかった父は、美味しいものを食べに連れ出すことでしか家族を喜ばせられない時期があったんだな。
そのまま、雨の中、美香ちゃんの仕事が終わるのを待って勤務先へ。母も一緒に行きたいと言うので車で向かいます。従業員用出口を探して、傘を差して、それらしき集団がお店から出てきて、大雨の中、逆光で、同僚の方たちと一緒に出てきて「おつかれさまでした」という美香ちゃんの声を聞いた瞬間、美香ちゃんが私の陰に氣づいた瞬間に「美香ちゃーん!!」「◯◯(私)ちゃーん!!」と駆け寄って、思わず手を握って、思わずピョンピョン飛び跳ねて「会えた」「会えたね」と目から涙が滝のように溢れて号泣、抱き合って手をつないで「ごめんね、おまけ付きやけど」と母の待つ車へ。美香ちゃんが全然変わっていないものだから(贔屓目?)、高校生のまんま、美香ちゃんの声も心地よく身体に響いて、お互いに急に親を亡くしたばかりの者同士、何年も直接は会っていないのに、Yちゃんと会ったときのように一瞬で高校生に戻って、とりあえず近所のファミレスに入って、閉店までお喋りします。母も調子づいて、葬式で笑いが止まらなかったことなど大話し。美香ちゃんもお母さんが転院すると言っていた日の夜に急に亡くなったと知らされたと、同じ悲しみを深く共有して、それでも大笑いし続けて。美香ちゃんのお父さんは、朝晩、美香ちゃんのごはんを作ってくれていると言うので、しあわせやねーと言います。「でもさ、今日晩ごはん食べられんって昼電話したら、もう晩ごはんの準備始めたって言いよって、どんだけって」と大笑い。
私、これからはちょくちょく帰るけん、また会おうね。これまでは両親の愛情と言う名の縛り(スケジュール全部決められる、東京に戻るときに悲しそうな顔する、できれば戻ってきて欲しい感じを出す)に耐えられずに実家に帰るのが抵抗あったけれど、TPも私の実家で少しは存在感を認めてもらえただろうし、私への期待は甥っ子に移っただろうし、これからはちょくちょく帰る。Yちゃんとも、連絡取ってRちゃんとも会えたらいいな、私も美香ちゃんもYちゃんも生きている、生きているうちにまた何度も会いたい、会おう、そう強く思いました。それまでは、お互いにがんばろうね、色々あるけれど、毎日楽しく、ちょっと辛いことあってもがんばって、また会おう!こういう氣持ちになったのも、一応、父のお陰ってことで。おーい、サンキュウ、お父さん。