シェルター

夕べ、3つの送別があったので眠ったようで眠れていませんでした。駅まで夫を見送りに行くいい奥さんもお休みして、眠っていないけれど、眠って朝9時に起きて実家に電話すると、母の声で「で、どうする!?」ボリュームも大きいようです。ど、どうするって・・・?私はただ、父か母とばーちゃんが亡くなったことを悼んで、話したかっただけ。「帰ってこれる!?」と言うので、ごめん、考えてなかった、昨日も飲み会、月曜も初顔合わせで懇親会、木曜から仕事でベトナム行くしとボソボソ言うと「あー、忙しいんやね、無理せんでいいよ」と父に電話を替わられます。

「どうするやー!?」父の第一声。「私、今いっぱいいっぱいで、こないだお別れ済ませたつもりやったけん、昨日も飲み会で月曜も顔合わせで、体力的に」と同じことを言うと「ほー、じゃあゆっくり休んどき」


電話を切ってから祖母の葬式に帰らない自分は、どこか心が欠けているんじゃないか、自己中心的過ぎるんじゃないか。パソコンを開いてみると、母からメールが入っていました。「今日通夜で明日葬儀です、湯玉の◯◯寺です、どうですか、帰れますか」電報のようなそのメールを、私が見ていると思っての「どうする?」だったんだな、と思うと傷ついた自分が小さく思えて航空券、新幹線、バス、あらゆる帰省手段を調べてみますがお寺は田舎にあって移動が一日がかり、ただ行って帰って、手段がありません。母に、色々調べたけれどどうしても帰ることができません、ごめんなさいとメールを返信します。


すぐに電話がかかってきました。「心配せんでいいよ、こないだちゃんとお別れできたし、帰ってきてくれて良かった」と優しい声。母も昨日は一晩中、ばーちゃんの遺体に寄り添ってお喋りしていたそう。「最初は温かかったけど、だんだん冷たくなって」そこからまた福岡まで運転して帰って、また下関に向かっているそう。「私が寝てないから、お父さんが運転してくれとる」

一日中、モヤモヤとして過ごします。

夜、電話が鳴ったので取ると弟からでした。「もしもし」「もしもし」「車で帰ってくれたってね、ありがとう、おつかれさん、あ、誕生日おめでとう」「ありがと。命日と一日違いって思うと感慨深いわ。今、通夜が終わったとこ。でもさあ、何か泣けんちゃん、何でかいな?おばあちゃん(父方の祖母)のときと、違うねぇ」「私も。泣けんよね。やっぱ、ばーちゃんは生き抜いたけんかな?」「そーよねー。これ以上長生きして欲しいって思わんやったもん。ただ色んなことだけ思い出すっちゃん、みゆきレジャーランド、ゴーカートとか」「一輪車乗ったりね、軽自動車でね、あちこち連れて行ってくれたもんね」「そんなことばっかりが思い出されて」「私たちに何の期待もせんで、ただ夏休み中、預かってくれたもんね」「そうよね、俺と◯◯(私の下の名前)が喧嘩して、俺が帰る!って福岡に帰ったこととか、ああいうとき、ばーちゃんどういう氣持ちやったかいな?とか」「本当よね、何も言わんでね〜おやつやら、お好み焼きやら食べさせてくれてね」


毎晩毎晩、延々と繰り返される不仲の両親たちの怒鳴り声、叫び声、泣き声、父が暴れている音、壁を蹴る音、物を投げつける音、八つ当たりがこちらに回ってくると理不尽に蹴られ叩かれ涙をこらえているだけでも泣くなとまた叩かれて、喉を通らない晩ご飯、発狂したフリの母の声、父が会社から帰る車のエンジン音すら聞き分けられるように発達した子どもの聴覚、それが果てしなく続く毎日、唯一のシェルターだった夏休みのじーちゃんばーちゃんち、子ども二人で電車に乗って毎年通い続けて、毎日近所の貸本屋でマンガを借りてマンガ三昧、駅前のデパートに遊びに行って戻っておやつ食べて、軽自動車でピクニックに連れ出してくれたり、親戚の家に遊びに行ったり、嫌がる私たちをたまには顔を出さんとと父方の祖母の家に送ってくれて向こうも嫌そうなのですぐに迎えに来てと電話して迎えに来てくれて、夜はみんなで寝転がってテレビを見てキャッキャと笑う姉弟に、夏みかんの皮までむいてくれて、お祭り、温泉、ドライブ、金魚すくい、ベストテン、アイス、夏休み中がお祭りみたいに過ごして。夏休みの終わりに、不機嫌な父と母が車で迎えにきて、じーちゃんばーちゃんありがとう〜と手を振って、車を発車させると突然泣き出す母、振り向きもしない父、それが恒例。私と弟がいない間、父と母はどうやって過ごしていたんだろう?ばーちゃんじーちゃんは、どういうつもりで35日もの間、何年間も預かってくれていたんだろう。



晩ごはんは買ってきたおそうざい。

弟と少し話せたことで、やっと少しだけ、泣けました。