昨日、辞めることを辞めたと宣言しても、心は心電図のように上り下がりしています。他の人も同じだろうか?ちょっとの間だけ、参考までに別の人間になってみることができたら面白そう、でもクセになって自分がわからなくるかな?それができないからこそ、想像力というものがあるのかな?今日は隣席のRさんと英語のY先生とのランチでした。熟成牛というものが世間で流行っているということですが、生まれて初めて食べました。ひと口ずつ、これが熟成した味かと噛みしめます。お店のグラスは涙型で薄造。ここでバイトしたらすぐに割ってしまって怒られるかも、そう思いました。
午後、転職したD君からおつとめさきに電話がありました。どうやらある人が私がもし転職を希望しているとしたらD君のつとめ先で雇ってくれるかと尋ねてくれたからみたい。その遠回しな話し方に大笑いして浮かれました。ありがとう。昨日、辞めることを辞めたと宣言したばかりだし、今は目の前のおしごとがあるからと格好良く言ってみました。
Y先生が最近、地図を見ながら歩いたのが楽しかったと教えてくれました。休日に地図を見ながら3万歩も歩いたと言うので3万歩がどれくらいか尋ねると、距離にして約18キロとのこと、ものすごく驚きます。私が自転車通勤をしていたとき、8キロで30分ほどかかっていたので、そこを往復してもなお余る距離。地図には縮尺の関係からか、記されていなかった道まで見つけたそう。私は最近、時刻表を見ながら電車に乗ったことが楽しかったと話します。お喋りのひとつひとつって、実はものすごいことかも知れない。くっきりと私の中に、ふわっといい感覚を刻んでくれて、身体に重なって行くのです。逆に、ものすごく落ち込んだり、腹が立つようなことは、頭の中を駆け巡って身体が傷づけられたようになっても、やがては消えて行くから。たとえ数年、数十年かかっても。こんなご褒美があるから、まだ逃げまい逃げまい。