棺桶の中の写真

朝、母から電話。「入居者のひとのお葬式に行ってきた。会社からは行ったらいかんって言われとったたけど、私だけ特別に。だって長いこと介護してたからさあ。そしたら、あんな寂しいお葬式、初めてよ。行って良かった」介護職を、一度は退職すると申し出て引き止められたからと週イチ(!)で細々続けている母は、今月2人も、それぞれ90代で亡くなったお年寄りがいたらしく、2回お葬式に行ったそう(頼まれてもないのに)。「おじいさんの方は、創価◯会やったみたいで、会員のひとがきて、なんみょーほーれんげーきょーみたいなお経をウニャウニャって15分唱えて、おわり」

 

もうひとりの女性は「最初、部屋間違えたかと思った」ほど遺影が若い時代の写真だったそう。「棺桶見たら、妹さんが『姉さんが好きだったひと』って、若い職員の写真が勝手に入れとっちゃもん、もう、笑いこらえるのが必死やったよ」どうやら若い男性の介護士さんに恋をしていて、普段から勝手に彼の写真を飾っていたそう。母はその方に「勝手に飾ったらいかん、失礼でしょうが」と言っていたらしいのですが彼女は「一緒に寝よう」などと介助されながら、その職員のひとの身体を触ったり、何度もセクハラ発言を繰り返していたらしい。その氣持ち自体は否定しないけれど、もうお婆さんの母ですらこれまで、入居者のおじいさんたちから手をなでられたり胸を触られたりエロいことをされたりして嫌な思いを何度もしてきているので、「勝手に自分の写真が棺桶に入れられるとか最悪やん」とのこと。「本人が知ったらどんな思いするか。関係ないお婆さんの棺桶に自分の写真を入れられてごらん」本当に、申し訳ないけれど、大笑いが止まりません。「こんなこと、誰にも言えんやん?話せてよかった」と言うのでホッとします。

 

そのうちに父に電話が替わられて、母が数年飼っているメダカの世話を勝手に引き継いで、メダカの子を産ませて増やすことに夢中になっているそうで「母ちゃんが最初、小さい石を敷いとったろ?(知らない)あれが、水換えのときに大変で、そうじろう(友達)に言って、岩みたいな石を何個か送ってもらったっちゃん。小石やったら大変やけど、岩なら手入れが楽やろうが」「どれくらいの岩?手のひらくらい?」「そう、手のひらくらいのと、こぶしくらいのと」自分の工夫にうっとりしている様子。「案外、いい形よ。今度帰ったら、見てみれば」この、石やら岩やらがどうしようもなく好きなところは、完全に父から受け継いだDNAなのでしょうか。

凪のお暇  7 (7) (A.L.C.DX)

凪のお暇 7 (7) (A.L.C.DX)

 

昨日、マンガを読んでから、マンガ熱が止まらなくなって。ドラマもいいけどマンガもいい!

コーポ・ア・コーポ (1) (MeDu COMICS)

コーポ・ア・コーポ (1) (MeDu COMICS)

 

西村賢太推薦、みたいな文言を読んだら買わずにいられなくなって。

 

いつでも母と

いつでも母と

 

紀伊國屋書店で買った本を、こたつに入って寝転がりながら読みます。そのうち起き上がって、静かに嗚咽。どうしてこうも、ちゃんと自分の感情に向き合いながらも冷静に、ときには面白おかしく、感情が爆発する描写や現状への感謝も、ところどころで誰かのためになるようにと、人生を味わい尽くすようなエッセイとして完成したんだろう。中でも食堂の職を得たときの感覚を記したくだりでは、私だって今の仕事があるからごはんを食べることができているんだ、そう思って感激します。その感激を伝えたくて、まさかの「読者カード」を書いて、ポストに投函します。届くといいな。

 

夜、阿佐ヶ谷姉妹のブログを、ずーーーっと過去に遡って読み続けます。もしかすると私は今、癒やされたいのでしょうか?何を?どこを?